エンドレス・エンド(未完・新作)

エンドレスエンド 第二話

  早朝、払曙の時間、ただ事でないカラスの声で目が覚める。けたたましい鳴き声で、三羽のカラスがまるで恐ろしい敵を見て大騒ぎをしている気配。一羽の鳴き声は他と比べてソプラノ風で、ずっと間断なく鳴き続けている。他の二羽はそれに呼応するように例の聞きなれた図太い声で掛け合いのように鳴いている。生ごみにネットが張られていてイラついている鳴き声ではない。ある意味、生死を賭けた喚きに聞こえる。尋常でない気配にマンションの6階のベランダに出て下の街路樹通りを見下ろす。梅雨時の朝5時。鳥も人も普段はまだ寝ぼけている時刻に、庭漆の大木の枝をゆすって、二羽の大ぶりのハシブトガラスが右往左往、いや、右飛左飛を繰り返して、鳥肌を立て、いや、羽を逆立て、つむじを総立ちにさせて、Z型に羽を攀じ曲げ、枝葉に隠れて見えない街路中央を上から覗き込みながら甲高く、切れ目なく喚きまくっている。覗いている街路の底の方からソプラノの疾呼が聞こえてくる。どうやら近づいてくる恐ろしいものを見て、カラスのヒナが落ちて、うまく飛べず、親に助けを求めている悲鳴喚呼のようだ。
 俺は気が付いた。安らかに眠っていた俺に退屈して、奴が「ぴゅるぴゅる、べろん!」と俺を抜け出して猊下の街路樹通りに降りて行ったに違いない。昨日のポスターの女祭り衆の太ももを抱いたまま空を飛んでいる夢から覚めた。女が太鼓に空中でバチを振り下ろしたその時の鼓動で確か目が覚めた。実に爽やかな目覚めだった。俺の夢見が良いと、奴に餌はない。起きているときの俺に夢も希望も目指すものがなければ、挫折や未達への焦燥もなく、涙も絶望もない。脳が実生活での苦悩に損傷を受けていないからか、このところ意外と夢見が本当にいい。見たこともないほど深く美しい山奥の渓谷の橋、完璧な懐石膳と俺の隣には俺のすべてを包み込むような天女の気配のある何か不思議な懐かしさの満ちている京都の料亭、一人寝の俺の床に忍び込んで俺を咥え、着物のまま俺に乗り果てる隠れ山荘の仲居、マッターホルンを月を片手に飛び越える俺。だからこのところ、一日の楽しみは眠ることに尽きる。夢の案内図のようなものが時々浮かぶ。ラベンダーピンク色の太い路が目の前を蛇行して視界の奥処に溶け込んでゆく。左右所々に短い岐路があって、大小の楕円のストップインが泉のように滲んでいる。俺は順を追ってその泉の方へ、泉の中へ入ってゆく。至福の極上の時間が俺に始まる。

「ふん。まあ、いいわさ。睡眠はお前の860億個の脳細胞の連中が日中の混乱しまくったお前の目や鼻や口や皮膚からの信号をいったんリセットして情報として整理整頓できる時間だからな。精一杯寝てやったらいいさ。昨日吸い込んだ婆さんからお前を乗っ取りに来た外敵ウイルスを囲い込んで籠城させる指令や自分で殴って作ったその顔の青あざの潰れた同僚の細胞を修復する指示を他の59兆140億個の仲間にしてもらわなきゃ、お・ま・えという俺の個体がいかれちまうからな。お前が寝て、この人間の都会が寝ても、かわいそうに、連中が眠れることなんかないのさ。」
「お前は寝ないのかよ?」
「俺は寝る。ヒトの60兆個の命の超高層マンションは居心地いいんでね。俺らは命に乗り込むだけだからな。乗り込んだ命次第さ。お前んとこは結構安心して寝てられるってもんさ。腹が減ったころ、うまい具合に嘆き悲しんでくれるし。」
「ずっと寝てろ。」
「(笑う)さあねェ。俺に気が付いちまったからなァ・・・。かわいそうに。俺としてもせっかくだからほおっておけないしなァ・・・。」
「失せろよ。嘆くこともこれからはないし、悔し涙も流れない。もうお前の餌はない。タマケシって奴に替わってもらってかまわない。」

 俺に見切りをつけてこれで奴が永遠にどこかに消えてくれる可能性はゼロではない。今度こそ。思わせぶりに2,3年、時には5,6年、俺を泳がせておいてからまた戻ってくるような今までの繰り返しはもうこれで勘弁してもらいたい。65の俺にはあとがない。どこからかまた次の夢とか目標とかのありえそうなサンプルでも持ち帰ったとして、俺の熱量が無のエントロピーの増大を押さえ込むはずもなく、きっと徒労にすぎないことを自分で分かっているから、もう新しいことの成就を志向して学んだり、学習したりするつもりはない。これまでの人生で体得したノウハウの実効性も実に疑わしい。今のAIを駆使した技術革命3.0に追い付いてはいけないわけで、槍で鉄砲に向かうことになるから、やめておいた方がいいことは十二分に、もう着手する前から知っている。俺に限らず俺の世代のノウハウなど今日では大半がとうの昔に当たり前になってしまっている。若しくは、昔の成功体験は今日の失敗の元。うるさいだけで今日誰も聞きたいとは思っていない。それをひょっとすると奴は知っていて、今回ばかりは本当に消えてくれる可能性はある。
 ただ油断はできない。奴は俺が知らない俺を知っていて、そっちの俺をそそのかすすべをどうやら心得ている。どうもそっちの俺はこっちの俺が毎日楽しみにしている睡眠中の夢の中にいる。こっちの俺に代わってそっちを歩いている。別の景色、別の次元を生きているそっちの俺を奴は凝りもせずたぶらかしてこっちの俺にまだまだこういう夢もあるかもよ?とバカなメッセージを持ち込ませる。失敗と絶望に傷ついて立ち直れない精神状態で自分の頬骨を殴ってひびが入った俺の60兆個の細胞に1個の変異株がスポイトの一滴のように垂らされる。するとその新鮮な情報は真核細胞のmRNAの三リン酸に乗って瞬く間に、いや、きっと寝ている間、何回か同じ夢を見ているうちに60兆個の細胞に転写されるのだろう。とにかくその時期、俺は甘いものばかりが食べたくなる。チョコではない。大福と月餅ばかりで3食をすませることが多い。きっとアミノ酸、タンパク質を組成しろとmRNAが要求するからだろう。頬のあざが取れ、頬骨のひびが埋まるころには、脳の中を新たな夢が勝手に占有している。悪夢は見なくなり、夢見が良くなり、そのころに奴はまた退屈してこっちの俺を抜け出てどこかに立ち去る。状況は似ている。ただ、俺の肉体は65才になっているし、俺を取り巻く社会環境に今の俺を組み込める希望の夢などさすがの奴にもそろそろ探せまい・・・問題はあっちの俺は時空の量子もつれの中に居て妙にいつまでも若い。奴にそそのかされて熱量宜しくすぐに熱くなって、こっちの現実の俺に炎をたきつけ始める。
 少し今のブルシット・ジョップに嫌気もあって、先日、別のバイト先を探してみた。別に奴にそそのかされた新しい夢などでなく、平坦すぎる日々に退屈したから。実は俺には事情があってどうしても思い出せない時期がある。記憶が飛んでしまっている時期がある。おそらくその時期の事実だけが俺に残っていて、どうしたわけか俺はドイツ語ができる。満員の日比谷線でシルバーシートに座っている子連れの外国人が話していた。

「ねえ、私たち座ってていいのかしら?」
「どうして?」
「なにか日本人たち怒ってない?」
「そうだね。ちらちらこっちをさっきから見てる。」
「何、この『銀の席』って?この窓の青いマーク?」
「(携帯で検索して)あァ、老人・障害者・妊婦用のシート・・・。」
「だからね・・・」
「どうする?Stefanoも寝てるし・・・」
「そうね。私たち何も知らないドイツ人ってことで・・・。だいいち、今立ち上がるスペースないわ。」

 この会話がすべてすんなり分かった。それがドイツ語だと認識すらせず、理解していることにふと気づいた。そうか、あなた方はドイツ人で、俺はそのドイツ語を何故か完全に母語のように聞き取っている。

「Eben! Ist ja sowieso pumpsvoll! (仰る通り!どうせ、満タンですから!)」

 ドイツ人夫婦がきょとんと俺を見て、間をおいて笑い返してきた。霊柩車の中のごとく黙りこくった満タンの同時に左右に揺れているかたまりの日本人の興味の量子が一瞬錯綜とする。が一駅で団塊が入れ替わり量子もつれも切れる。ドイツ人夫婦と知り合いの日本人の俺の外国語の普通の会話として知覚され、我々のドイツ語での会話はさらに俺が降車する二駅目まで続いた。この日からどうしたわけか俺はドイツ語を躊躇なしで話せることに気づいた。

「どこにいたの?」
「それが覚えてないんですよ。」
「びっくり。日本語は話せるの?」
「当たり前です。」
「そう・・・。でもスイス・ジャーマンの訛りがあるよ。」
「へェ。」

 拾えるバイト料は高額なのでindeedの翻訳の応募サイトに応募してみた。物理・原子力分野かアニメ・ゲーム分野の翻訳しかドイツ語には求人はなく、後者にレ点を入れるしかない。時流のアニメやゲームソフトのドイツ語訳のバイトぐらいでしか俺のドイツ語ももはや活かせないらしい。履歴書は適当に入力し、受験してみたゲーテ協会のC2の資格証明書のPDFをはめ込んで送信したら、採用担当からメールで届いた。

「らぶりつのねこみーむ、あざまーす!あのこ、えぐかわちィ!ところであきみんの推しメンのふぁぼくんだけど陽キャはいいんだけどばおわにまじでこくられて・・・かえるかげんしょー・・・」
「それ、がーちゃー?リアタイちゃうやろ。わかりみ深いわ。」
 
 これをすぐにドイツ語に訳して30分で返メールというのが採用試験だった。陽気なキャラクターの彼氏候補の名前はふぁぼ君なのか、がーちゃー君なのか・・・。30分が過ぎて、自動メールで「不採用」の通知が来た。
 なぜ俺がスイス・ジャーマン訛りのドイツ語を操れるのか、俺は思い出せない。が、奴との不幸な出会いには思い当たる節がある。確か俺が45歳の時、気に入っていたスイスの閑村の小高い山が競売に出て、すんなり応札が通ってしまったので運び湯の日本風割烹温泉旅館を建てた。山なぞ購入しても東西南北商売になったためしはない。が、ある夢を当時俺は頻繁に見た。いや、奴に騙されたあっちの俺が俺にその夢を何度も何度も見させたのに違いない。白亜の巨大な大理石の殿堂が埼玉の実家のある場所で陽を浴びて建っている。その殿堂の中で、または外壁の輪郭を眺めながら俺が肩呼吸をしている。その達成感はアルプス三部作をセガンティーニが閣筆して眺めていた時に等しいに違いない。殿堂を前に、胃のあたりで成就の喜びの嗚咽を押し殺し、腹からの深い呼吸が俺の肩をゆっくりと上げ下げしている。実家は変哲もない平地にあったが、夢の中では突然谷を見下ろす見晴らしのよい風が渡る高台で、競売の小高い山はまさに暗喩だった。
 一年でホテルを建て、寿司がはやる前だったことや旅館がヨーロッパになかったこともあって最初の3年は大繁盛したが、タケノコやキノコのように和食店・寿司バーが市中に軒を連ねるようになって客足は絶え、標高800メートルの小高い山は、標高500メートル以上は冬になると1メートルの積雪に埋もれるスイスの事実に後付けで気が付かされた。天気予報の降雪予想は日本海側・太平洋側という南北ではなく、当日の降雪は標高何メートルから、という国の500メートル以上は要するに「雪国」ということ。ミシュランの星は取ったが、その星は軒先の氷柱(つらら)にブランブランと垂れ下がって、閑古鳥がくちばしでつつく音が白亜の殿堂に響くようになった。
 雪がコンコンと降りしきる真夜中、一人支配人室でPCのExcelの罫線を縦にしたり横にしたりして、資金繰り・カネ勘定をして、客寄せのイベントしか打開はないと懐石膳とクラシック・ミニコンサートのコラボを思いつき、先付と八寸の間に入れる演目を考えているとき、止む気配のない横殴りの吹雪の午前2時、外で短い悲鳴がした。男の子の声?雪が厚く吹きつけている窓の外のホテルのテラスの積雪はもう腰辺りまでの嵩になっているはず。雪の重さの耐重度を建築家と諮ったばかりで、明朝の除雪作業に脳裏でうんざりしていた。そんなはずはない。標高800メートルの宿泊客ゼロの深い雪に埋めこまれている午前2時のホテルの積雪テラスに人がいるはずもない。入り込めるはずもない。まして子供が。テンか、キツネが迷い込んだか?テンは露天パーキングの車の下で暖を取り、ついでに忍び込んだエンジンルームで配線を齧り尽くすことがある。テラスに続くエントランスのドアは幸い自動ドアで開いたが、ドアが開くと、ガラス扉に張り付いていた平面を側面にした膝丈の雪の堆(うず)高い絶壁が玄関前に立ちはだかって、左側のテラスに向かうにはスコップで掘り進むしかなかった。
 また微かに短い声音が聞こえた。テラスの端の欄干のあたりから。降り続く雪を浴びながら支配人室から漏れる光を頼りに雪を押し分けながら、場所を特定できた声というより音のした方へ踏み進む。見回してもこの鉢植え以外何一つない。何もいない。何かいるはずもない。欄干に沿って、松のトピアリーの大きな鉢植えを5メートル幅で設置してある。細長い垂直に1.2メートルほど伸びた幹の上にお椀を被せた形状の幾何学的に刈りこまれた松の枝葉の頭部が広い帽子のように載っている鉢で、そういえば買い付けたガーデナーがこのトピアリーは冬の雪には弱いだろうと警告していたことを思い出した。雪を被ると重さに耐えられないかもしれないと。豪雪時は竹ぼうきで頭部の雪を頻繁に払ってやれと。溶けた雪が頭部の枝葉の傘の上で重い氷になってしまう前に。見ると目の前の一番幹が細い一体は頭に大量の雪を重々しく載せ、幹が重みに耐えかねてやや斜めにしなっているように見えた。後方からの支配人室の明かりはほとんど届かない暗闇の中、近づいて頭の雪をまず払い始めたその瞬間、松は頭部の雪ごと俺にのしかかってきた。音のない寒村の山頂のホテルの豪雪のテラスで俺と松の鉢植えは雪にまみれて、雪に打たれながらしばらくお互い何も言わず「抱き合って」いた。

「そうか・・・よしよし・・・。悪かったな・・・。首が折れちまうところだったな。今、全部払ってやる。大丈夫か?まだ、生きてるか?頑張ったな・・・もう大丈夫だからな!」

 そう言いつつ、俺は小半時松と抱き合っていた。松の断末魔の声を俺は聞き分けたとその時確信した。松は無言だった。ただ、雪が降り積もるという自然現象だけに支配された地球の一郭で俺は本来ヒトの波長と異なる植物の声を聴き取り、松も俺の言語を同じ波長で理解してくれている気がした。樹は悠久の時間の中でゆっくりと発語する。ヒトの80年前後の寿命の中での発語と速度が乖離しているから、彼らの声を聞き取ることはまずありえないのだろう。聞いたはずのヒトの方は死んでしまっている。反対にヒト科の発語は樹にとって10倍速のラップソング、狂ったラッパーの早口言葉を凌駕するに違いない。だが、あの晩、命ある松を救い、松に礼を言われた気がしてならなかった。

「ごめんな・・・・」

 そう言って撓って曲がっている幹を整骨整体マッサージのように手袋を外してしばらく撫でていると、零下8度の雪夜にまるで生き物のように幹が暖かくなった。俺の掌や指が明らかに体温に触れていた。木肌を撫でているとき、気が通った気がした。

「頭の雪が柔らかいうちでよかったね。溶けて氷になってたら重くなってホントに折れちまうとこだった・・・。」

 触れている左手から左肩に軽い重みを感じ、何か左腕全体にだるさを覚えて俺は松のトピアリーから身を離して館内に戻った。子供でもテンでもない。奴が声の主だったと確信しながら。
 まさかのこれが奴との出会い。この夜、奴が松のトピアリーから俺に乗り込んだに違いない。それ以外思いつく局面がない。館内に戻り、エントランスの自動ドアの閉ボタンを押してもドアが閉まらなくなっていた。翌朝、雪は上がって快晴だったが、頼みにしていた除雪のブルドーザーは来なかった。運転手の農家の主人がインフルエンザで倒れてしまった。死ぬほどの除雪作業となった。この冬を境に、ホテル経営は明らかにすべてうまくいかなくなった。樹の精ではなかった。樹から乗り込んできた悪魔だった。
 べろんっ!と抜け出した奴は、下に降りるついでに、気晴らしにヒナを巣から摘まみだして落としたのだろう。悪魔はカラスの大軍を連れて丘を歩く。だが、悪魔とはいえ、繁殖期のカラスの番と生まれたヒナに不用意に近づけば、話は違うのかもしれない。俺の前には瘦せこけた俺の姿とかその都度俺が忌み嫌っている、畏れている、俺の心象を逆なでする人間の顔で現れるが、カラスたちの前には、ふざけて天敵のオオタカか梟(フクロウ)にでも化けたのかもしれない。それともカラスには奴の本当のおぞましい悪魔の姿が見えているのか。
 最近UFOや宇宙人の映像がとみに話題となっている。ヒト科のテクノロジーは量子コンピューターやAIのエポックに突入した。技術が進歩すればするほど、今まで見えなかったものが見えるようになってきただけ。見えるもの、聞こえることが日々広がって増えてきているだけ。カラスに見えているものが一部見えるようになったら、俺から今さっき幽体離脱してどこかにふわふわと出て行った奴の真実の正体も判明するに違いない。ヒトは見えない、聞こえないものを真実とは認めない。だから俺の奴を、俺の時による発作的な破滅的言動が俺に巣食った奴の仕業だと言っても、誰一人見る目も聞く耳も持ってはくれない。俺もそうした展開に慣れてきて、「その通り!俺はそういう人間なんだよ!」と吐き捨てて、唖然呆然に固まっているヒトの垣根を押し破り、押しのけてその場を立ち去ることが快感になってきている。結果、解雇通知や督促状や仮執行宣言付支払督促や離婚届等々が届くと、俺の中で奴は細胞より小さくなって雲隠れしてしまって、我に返った生身の俺は何度となく全身で打ちひしがれることになるが・・・。逆境に強いわけなどでは全くない。逆境に慣れているだけに他ならない。ああ、またか、また奴か、と。奴を知るのは俺だけだから、どう言い訳してももはや仕様がないと思ってあきらめているだけにすぎない。
 では奴が宇宙人だとしてみよう。そもそも宇宙人が侵略者や敵であるとは限らない。一部SF映画やホラー映画の興行目的としての位置づけであって、ヒトの敵であれば不安を搔き立てるし、戦いはヒト科の現在のテクノロジーやアインシュタインのE=mc2やダークマター、ダーウィンの進化論の彼方を見据えた設定が可能で未知の科学対ヒト科の科学の戦いの描写は荒唐無稽でカネを産む。何作も継続できる。宇宙人の星は無限にあるから。勝手に次の敵なる星を探せばいい。下手な鉄砲数打ちゃ当たるで、中には近未来のテクノロジーを予言していると評価される荒唐無稽があったりする。もっとも実際は科学少年に着想を植え付けたことに功績があるわけだろうが。ヒトの科学で対応できないと、とうとうヒトを守る宇宙人も出現して毎年ウルトラマンの兄弟やシンウルトラマンが出現する。ウルトラマンは俺の奴と同じように確かヒトの中に住み着いて、いざというとき巨大な宇宙人となる。だが、仮に奴が悪魔でなく宇宙人だとして、アデニン、グアニン、シトシン、ウラシルとか塩基からアミノ酸を調合して物質物理の驚異的偶然の宇宙時間の階段を昇りつめて誕生した地球の生命に、俺の奴はまるで俺をすら救えない。邪魔しかしない。奴が我々ヒト科の命や樹に巣食う何者なのかは知らないが、明らかに俺には悪魔。俺から早く永遠にいなくなってくれれば俺はそれでいい。どうも奴を殺すのは無理らしい。奴には殺せる命がないような気がする。四次元のクラインの壺の中には時間という横軸なんかなくて、だからそこから来ている奴には死ねる命すらないような気がする。
 向かいのマンションの屋根の上の空が陽に微かに明るみ始めた。カラスたちの騒ぎは収まり、庭漆の葉隠れから通りのずっと奥の方に向けて親カラスが交互にカァ、カァを散発している。危機は去って、奴が街路樹通りを通り過ぎていったことをヒナに伝えている。俺も今日から少なくともしばらくは奴から解放されるらしい。奴が俺を支配して、俺が俺ではない仕草で足をもつれさせて転ぶことも、本来構わないじゃないかと、仕方ないことだと感じている上の階のガキが駆け回る足音に切れてモップの柄で天井を衝くこともない。激しく突き過ぎてモップのヘッドがはずれて天井から俺の頭に落ちてくることも、モップの汁が目に入ることもない。奴が今日はいない。ということは、俺は久しぶりに一日を整然と本来の俺として始められるわけだ。