ゼロポイント・フィールド 未達の恋(小説)

ゼロポイント・フィールド 未達の恋 第八話

第八話

渡航歴のある岡田団次の帰国後の足跡はルーマニア大使館の口の軽い窓口職員のおかげですぐにつかめた。まともな職に就くはずはないと思っていたが、なんと三重県警の警部補に名を連ねていた。だが退職後の行方がまったく開示されておらず、手詰まりとなった。が、念ずればやはり通じる。光の軸に、魂と意識の力で、ゼロポイントフィールドから必要な情報がタイムリーに不意に集まることがある。そっちの俺がフィールドから情報を収集して軸足に張り付けてくれたのかもしれない。偶然、突き止めることができた。バブルが弾けたお蔭だった。大衆週刊誌の見出しに目が留まった。

「団体客激減・バブル後にあえぐセックス業界 志摩の夜の帝王 岡田団次(志摩渡鹿子島・つるやホテル)を暴く! 」

【渡鹿子島は芸者島として栄え、この半世紀にわたってある意味で治外法権の売春島として知らぬ者はいない。フェリーでしか島に行けず、乗船チケット販売所で必ずチェックがはいり、当局らしい人物が入島したら完璧に島衆がマークして斡旋をしないように徹底的に監視しているという。確かに筆者が島に渡るとどこを歩いていても常に誰かに尾行されているような、窓の奥から見られているような気配を感じた。

このシステムを構築したのは元警部補岡田団次。今は島の帝王と呼ばれている。関西の暴力団との癒着もささやかれる。このほぼ公然の売春島に君臨する帝王岡田が全島の利権を掌握している。島を出るにはどうしてもフェリーに乗るか、自分でボートを出すしかない。要するに逃げることができない。

大阪や京都の家出少女にバイトを紹介すると偽り、下地っ子として島内の置屋に幽閉し、すぐに枕芸者営業に出しているという噂があるが立件はない。風営法が敷衍し、世界情勢はソ連の崩壊・東西ドイツ統合等激動しているさなか、バブルが弾けて団体客の来島は半減している。明らかに裏の性産業の収入が表の観光業を大幅に上回るに違いないつるやホテルの母体は揺らいでくるに違いない。

電話取材に応じた岡田は島の一部をテーマパークにするビジネスプランをシ団に諮問中だが、融資交渉は難航しているとのこと。借入金利は昨年同時期の約3倍、島の不動産価格は恐らく3割は下落、場合によってはこれからもさらに下落すると見られることから銀行の担保融資審査のハードルは高いだろう。T旅行会社によれば、島の訪問客の9割が芸者遊び目当ての団体客というデータもあり・・・・・・】

写真の初老の親父の顔にも体にも以前の張りはなくなって、脂肪太りの腹の上に浅黒い酒灼けした丸顔がのっかっていた。汚いカネの札束で買ったクッションにふんぞり返ってやくざの型どおりに見栄を張ってる。金縁メガネの奥の釣り目オス目は記憶のままだ。グツグツと俺の下腹から憎悪が蘇る。9歳までに受けた折檻。骨折。幾度となく目の当たりにした髪をわしづかみにしての母由真への暴力。休日の度、BUDO-KAN道場の事務室から聞こえていたブロンドの門下生の呻き声、口論の声。Bauschel氏を内股で投げ倒した場面の最後の記憶。残念ながら戸籍上でも父になってはいたが、まず間違いなく実父ではない。渡鹿子島・つるやホテルに岡田団次はいる。

一般客としてフェリーに乗船した。確かに身分証明書を見せて島内の行き先を書かないと乗船を拒否されるようだ。徹底している。あの親父の性格そのものだ。俺は日本で岡田姓に戻してあるので、まずい。とっさに携行していた有効期限内のドイツのパスポートを見せた。その名でつるやホテルもその場で予約できた。間違いなく客が減っている。同船者の中に、おそらくはもともと乗ったままの二十歳前後の若い娘(こ)がいた。浴衣姿で当然目立つ。好奇の視線を他の乗客から浴びまくっている。時折俺に視線で陽極(+)の光子(フォトン)を送って来る。あからさまでうるさいので同じく+フォトンではじき返していたが、当局者扱いでマークされては計画が狂う。やにさがった-フォトンで応対するとすぐに寄ってきた。

「どこから来たの?」

「えーと。(指で港を指しながら)あっち。」

「(笑う)。そーじゃなくってさァ!」

「じゃ、そっちだったかな?」

「もう・・・。じゃあ、どこに行くの?」

「うーんとね・・・。ひょっとしたら(胸の谷間を指す)、ここ。」

「(身をよじらせて俺の指を避ける)絶対、だめだってばァ!」

かき氷をおごって別れる。まあ、一次審査は通過できたようだ。その夜、最上階の下の階は大宴会場で、ハワイアンダンスや演歌歌手の演目で大音声のステージがずっと外にダダ洩れで、非常用サービスバルコニーから最上階の手すりに投げ上げたグラップリングフック(登攀用鉤縄)がぶつかる金属音も男ばかりの酔っ払いの団体客150名ほどの喚き声やビール瓶を皆で叩いて騒いでいるおかげで、まるで響かず、難なく俺は最上階のスカイバルコニーに忍び込めた。

広いオープン・バルコニーの海側の隅がルーフバルコニーになっていて、真ん中の床面に直径2m程のジャクジー風呂が埋められていた。床には幅広のエアーマットフロートが二枚投げ出されていて、片方の上にはディルドやアナルプラグ・猿轡やアイマスクが乱雑に置かれている。内側の壁にはキッチュな金髪の裸のビーナスのフラスコ画が描かれ、貝の下の方は黒カビが繁殖してせり上がっていた。ブロンドがいまでも恋しいらしい。

昼間かき氷をおごった方の女と、客として乗船してきたミニスカートの24,5歳の女が下着姿でサマーベットで上体を起こしている岡田団次の股間に顔をうずめたり、濃い白煙を口から吐き出し、煙をリング状に吹こうとわざとらしい黄声をあげて笑っている。山岳猟兵小隊の仲間が吸っていたスケジュールⅡのハシシの匂いだ。よく見ると、エアーマットの上に、駆血のゴムバンドと注射器のシリンジがタオルの上に載せておいてある。瞬時に俺はこの男の救いようのない正体、要するに俺と無縁の男であることを確信できた。腕力と性欲とカネ。それで手に入らなければシャブ漬け。その時点で、この男の生命軸はゼロポイントフィールドから全く俺と座標軸の違う量子情報を吸着していることを識別できた。父親としてなぜあれほど厳しかったのか、などと尋ねる気も完全に失せた。まだ行方の分からぬ母由真にあえて事前に尋ねる必要もない。ここに同居していないことが分かっただけでもよかった。

意を固めて物陰から立ち上がった時、ちょうどフラスコ画の隅の角(かど)の下に素っ裸の14,5歳の少女が体育座りで胸を隠してうずくまっているのに気が付いた。おかっぱボブの髪はブリーチして頬にかかる髪だけピンクに着色している。そんな妙なことをしなくても、と思えるほど目のクリクリした童顔のかわいい子だった。剥き出しのなで肩はまだ無垢で何も知らない、庇護を必要とする華奢な肩だった。俺を見つけた瞬間、立ち上がろうとしたが裸であることに気づき、止まった。俺は、口に人差し指を立て、黙るようにシグナルした。

ゆっくりとルーフバルコニーに入る。ハシシを吸っていた方の女が俺に気づいて、フェラチオをしているかき氷女の肩を叩いて知らせた。勃起したままの親父から口を外して呆然と俺を見返して「アッ」と小声を漏らした。かき氷を認知したらしい。

「おい、どうした?」

残煙を口からなびかせながらハシシ女がビーナスの方に転がって逃げる。オールヌードの少女の目、きっとワンナイト・抜きガールたち二人の目。今晩の本命はあの少女だろう。岡田団次のビクリとしたあとの鋭く座った目。これほど注目を浴びたのは、19年前の黒猫のコンサート以来か。

「なんだ、小僧!なんか、俺に用か⁉」

さすがに元警部補。ドスの聞いたもの言いだ。佇立していた男根がみるみる萎んでゆく。それが滑稽でおれは本気で笑ってしまった。

「おやじさん、さすが、けっこうなモノ、持ってますなァ・・・。」

「誰だてめェ!何が欲しい!」

「それでずいぶん女を泣かせたんだろうねェ・・・。」

とはいえ、相手は既に正真正銘のやくざかもしれない。拳銃とかを持ち出される前にかたをつける。サマーベットのクッションから立ち上がろうともがいている隙に、瞬時にハンドスプリング(前方倒立回転とび)でベットの裏に着地して、後ろから袖車締めで首を固める。がっしりとした首回り。さすがに両掌を俺の腕と首の間に入れてきて、中腰になって抜きほどきにかかる。だが、残念ながら、ベットが足もとにあるので腰から脇に抜ける技はきかない。

「ダ・・レ・・ダ・・?」

「8,9,10・・・。あれ、さすがだね。10秒で落ちないや。俺?ガキの頃、これ教わったあんたの息子だよ」。

タイル床に落ちた岡田団次の顔を4,5発馬乗りになって殴ったが、それだけにしておいた。少女だけ連れてホテルを出た。少女の名は依紗(いすず)で14歳だといった。島の裏側にホテルの非常用手漕ぎボートがあることを依紗が知っていた。一人、見張りが居たが、送襟絞で落とし、対岸まで漕ぎ切った。学校に帰れ、好きなところにゆけと言ったが、依紗は行き場がない、とついてきた。

そうはいかないので、依紗を連れて東京の警視庁本庁に赴き、渡鹿子島・つるやホテルの実情を届け出た。その際、依紗が里親に子供が生まれてから虐待まがいの扱いを受けていたことを知った。また、岡田由真の死因が照合された。心臓発作との17年前の死亡診断書だった。連れ去られた3年後には亡くなっていたことになる。薬物検査は当時巡査の夫の岡田団次の不承諾で見送られていた。墓は出身の岐阜の長良川沿いの崇福寺とのことだった。岡田団次ほか同島の暴力団関係者も麻薬取締法等の罪状で検挙された。大がかりな捜査網で、大阪の暴力団の組長も逮捕され、200名近い芸者やコンパニオンも保護された。薬物依存症患者の更生が急務で、3つの精神・神経医療の国立施設に送られていった。

里親のところには戻りたくないというので、品川の児童養護施設に入所申請したが許可待ちで、結局依紗はとことこ実娘の顔をしてホテル住まいの俺についてきた。どこでいつ覚えたか知らないが、夜になると時々ジャレついて甘えてくる。いい加減にしろとその都度ベットを引き離す繰り返し。

「だって、それなに?」

「それって?」

「それよ。何で立ってんの?」

「・・・。」

「我慢しなくていいんだよ?」

「・・・。」

「かわいそーじゃん、その団ちゃん!」

「団ちゃん?馬鹿野郎!ませたクソガキが、いい大人をからかうんじゃない!」

「へへ。ソーユーとこ、カッケー。ツエーし。結婚したげる!」

「早く、学校へ戻れ!まだ引き算もできねーじゃないか!」

「できるよ、バカにすんなよ?」

「28-14はいくつだ」

「14!で、何がいけないの?そんなカップルごまんといるって!」

「俺にはあっちのヨーロッパに女房がいるかもしれないの!雷で記憶が飛んでるだけ。じきにあっちにもどるんだから!」

「じゃ、確かめにわたしも一緒に行く!」

妙に気になってきたことがあった。タマケシが俺に吹っ掛けてきた琵琶湖の幻影。そして愛していたのか、愛していなかったのか、なりゆきで一緒になって殺された夫の首を湖に沈めて後を追った女。本当の父を知らず、最後まで知らされず、打ち稽古で養父に殺されかけていた信三郎。そして春殿を結果救えずに無念のままであったそっちの俺。俺の命の光の軸の先が時間のないゼロポイントフィールドから被雷の影響でそっちの俺の記録を掬い上げたのだろう。一つだけ合致しないのは、依紗は今回助け出せたことだった。そして、タマケシも奴もあれから実は一度も姿を見せない。

岐阜の崇福寺に墓参をした。旧姓斎藤で、斎藤家の大きな墓誌の末尾近くに記載があった。岡田真由の文字だけはまだ赤いままだった。住職が段ボールを持ってきた。埃をかぶった段ボールには白埃まみれの壊れて弦の切れたバイオリンが入っていた。夫岡田団次から遺品だが燃やしてくれて構わないと渡されたままらしい。ただその後、岡田が現れず、斎藤家も寺も困っていた由。折れて破損の程度はひどく、修復はまず無理だった。これみよがしに親父が蹴りでへし折ったに違いない。その時の母の悲鳴と嗚咽が聴こえてくる。何より大切だっただろう。檀家の斎藤家は桃山時代からで、同家の遺品は螺鈿で波型紋の嵌め込まれた黒漆櫃木箱に保管されていた。そこに納められるように俺は丁寧に折り曲げて、一緒に保管してもらうように依頼し、岡田由真の文字を白く塗り替えてもらうよう入檀料とお布施を納入した。見せてもらった木箱の中に美しい緋の袱紗でくるまれた長い遺髪と短刀もあった。

暴力団の残党から依紗や俺が襲われる可能性は否めない。俺は依紗とドイツに戻り、突然6億円近い遺産ができたとしても、何一つ記憶がないのは気味が悪く、手を付けることが憚れたこともあって、職のあったスイスに移り、スイス山岳救助隊(REGA)に所属して救助活動をしたり、ユングフラウ鉄道に車掌として勤務していた。ただグリンデルワルトの観光客の8割が日本人で、経営権を持っていた日本人が撤収して困っていると知り、同鉄道社の株式の51%を引き取り、それを機に事業経営というものにも遺産を使って手を出し始めた。

依紗は語学留学生の在留資格でインターラーケンのアメリカンスクールに通わせたが、性根は国が変わっても変わらず、あるとき早めに帰宅するためバスに乗っていたら、車窓にSilberkugelというハンバーガーショップの外のパラソルの下でボケーとアイスを食べている依紗を発見したり、勉強するというので英語教材を一式買ってやったら、丸々一週間で英語ぐらいマスターするといって、徹夜6日目で、熱中症になって緊急入院となり、病院に俺がDVを疑われ警察に呼び出されたり。18,9歳の若者が自宅まであとをつけてくることはしょっちゅうだった。間違えて入ったオクトーバーフェストの右翼のテントで、ビールをあおり、お立ち台宜しく日本人の依紗がテーブルダンスをしていたら、テントが静まり返ったり。

日本に帰国する気がないことを知り、それならとドイツ語に切り替えてドイツ語学校に入れたら突然様相が変わった。めきめきと喋れるようになり、ひとが変わったようにはつらつとした。

「だって、そとでだれも英語喋ってないじゃん。」

「日本に戻ったら、最終学歴が小卒じゃ、だめだろ!英語が必修だからだろ⁉」

「小卒?ちがうよ、ぜんぜん違う!中学校中退だもん!」

 ドイツ語は、勝手に市役所に行き、どうしたかはわからないが、俺の個人情報一式を抜き出せるまで成長した。

「奥さん、いないじゃん。」

「そうか。」

「あたしじゃダメ?」

「何が?」

「団さんのオヨメサン!」

「・・・。」

「あたし、もうじき19よ?イスズおばさんになっちゃうよ?いいかげん、たべちゃいなよ⁉あほおやじ、もう!」

「・・・。」

スイス・シャッフハウゼンの郊外の丘に旅館ホテルを建てた。依紗は成長し、女将職を一任できるようになった。ビギナーズラックは数年で終わり、奴が乗り移った雪の晩から営業は左前となり、雪掻きに辟易して、ホテルは早々と売却して帰国を決意した。日本で再起をはかって、アーミーナイフやSwatchの卸や登山グッズ・スキーの販売チェーンを展開してどれも当初は羽振りはよかったが、どれも行き詰った。起死回生と手を出したよくわからないヘッジファンドへの投資で大失敗して養父バーシャルの遺産は底をつき、過度の自信喪失から病気でもないのに、毎年筋力も凋落、見る影もなく痩せ細っていった。

が、失敗続きで抜け殻となった俺を依紗は一度も非難しないでそばにいる。文句を言ったことがない。新たに始める仕事が何であれ、「やりたいんでしょ?だったらやれば?やっぱり、あん時やっときゃよかったって言われたくないし。」。やり尽くした今は、やりたくないバイトをつなぎ、若造に鼻先であしらわれてあたまに来て、奴が体からはみ出てバイト先も早晩首になる。呆れているだろうが、何も言わない。JTBやHISの通訳兼ガイドの仕事の合間に声がかかれば映画のエキストラやちょい役をしている依紗の稼ぎが上で、まるでヒモ状態の時もある。もう世も末だ、俺は駄目だ、他で面倒見てもらえ。岡田団はとっくに死んだんだ。ほぼ空の財布を覗いて俺が本気で呻いていても、鼻歌を歌って、洗濯物をベランダで干している。

「次いこ。次!しょうがないじゃん。」

「聞いていいかな?」

「何を?」

「何でお前、俺といるの?」

「好きだからじゃん?」

「俺、こんな顔になってんだよ?ほぼジジ―。頬のこけたこのビンボーで貧相の俺のどこが?お前、変だよ・・・。」

「男は顔じゃないよ。」

「顔じゃないか・・。」

「そう。」

「じゃ、何で?」

「うーんとね、結局いつも私の事気にしてくれてるからかな。」

「そりゃ、あたりまえだろ?みんなそうさ。」

「そんなことないよ!それにね、私たち、前世でタヌキだったときも一緒だった気がする。」

「タヌキ⁉」

「そう。その前は、ゴキブリ。」

「ゴキブリ⁉」

「そう。今撮ってるエキストラのバイトの映画ね、私、ゴキブリを叩きまくる主婦の役なの。仲のいいゴキブリの夫婦をある朝かわいそうに思って殺さなかったら、家じゅう大変なことになっちゃうの(笑う)」

 この陽極(+)の波長が狂って、依紗が泣くところは子が流れたときの一度しか観たことがない。だから泣かせるようなことにならぬよう、女が寄ってこないこともあるが、女も作らなければ、本当に干上がる前に気の進まない求人でも応募して仕事には就く。この没落後の数年間、その図式で来てはいる。泣かせたくはない。これほどにあの裸で震えていた少女が頼りになるとは想像だにしなかった。俺がここまで落ちぶれ、早めに老いぼれてしまうことも想像だにしなかった。

退院したその足で、俺は依紗と安土城跡に向かった。天主跡と本丸跡の礎石奥にくねった松の木が一本植わっている。妙に気になるので木肌を触りに降りる。俺が触ろうとした木肌の横に依紗が先に掌を押し付ける。

「やめとけよ!」

「(笑う)大丈夫よ。」

「だって奴って、未来担当なんでしょ?」

「そうタマケシが言ってた。」

「で?過去のタマケシさん、出たの最近?」

「きちがい病棟に移った初日だけ。奴は出ない。」

「出るわけないじゃん、だって、団、何にもしてないから、失敗するわけないじゃん。」

「それはそうだな。」

「なんかしたら?」

「何やったって、結局駄目だったじゃないか、知っての通り。(鼻で笑う)今度だって、結構俺向いてるかなって思った瞬間また雷に遭ってさ。信じらんねェことになる。奴に決まってる。憑りついてんのさ。ホレ、誕生日にお前にもらったお宝のアルマーニのTシャツもぼろぼろさ。たびなぜ君もコンシェルジュもクビ!」

「奴ってさ、そんな力あるのかな?聞いてるとさ、団が泣いてるとき、慰めに来てくれてるだけのような気がするのよ・・・。おちゃらけてくれてるだけのような。団、徹底的に落ち込むから・・・。わたし、そういう時、なんも言えないし。」

 依紗が松の木肌に掌を押し付けて頭をたれずっと押し黙って止まっている。

「やめとけよ!別の奴がお前に乗り移るぞ?やめとけ、やめとけ!」

 背後に回って後ろから腹を抱き込んで樹から離そうとしたが、依紗の体が石像のように重い。まるで動かない。まさか。入院で力がまた落ちたか。仕方なく、背中を抱いて、耳元に声をかける。

「ホレ、何してんだ。ご神木じゃあるまいし。願い事?」

「(首を横に振る)お礼をしてるの。団を護ってくれてアリガトウって。雷から。」

「・・・。」

「ホラ、団もきちんと手を置いて、一緒にお礼言って!」

「・・・。」

 晴れ間が急に陰って、城一帯に雨雲が寄せてきた。風が出て、この高台から見回すと一筋の幅広帯状の濃紺の乱層雲が龍のように近づいているのが見える。積乱雲ではないからまた雷がくることはなさそうだ。雨がパラパラと降り始めた。

傘はないので、クビ宣告に病室に来た総支配人の北畠が持ってきた俺のトランクから面接のとき着た上着を出し、依紗の頭から被せる。依紗はまだじっとしている。しかたなく、左掌を依紗の右掌に並べて松のごつごつした樹肌に添える。激しくはないが、真夏の雨に囲まれる。嫌な雨ではない。

 底辺に落ちるかもしれない寸前で若い依紗を救えたのは事実。俺の中に今の3倍の力があって、衝き動かされていた。毒親への忿怒。親?岡田団次は親ではなかった。犯罪者となって、DNA鑑定の申請が可能となって知り得た。そして岡田団次は獄中ですでに病死した。結局、亡くなってしまっていた母由真から本当の父を聞き出せずじまい。依紗も身寄りが全くない。事業がうまくいっているときは、依紗が邪魔に思えて、つらく当たったことも何度かあった。事業が失敗して、夜逃げの荷づくりの時も依紗は何一つ不平を言わず、どれを捨て、どれを持ってゆくかを訊くだけだった。

「だれか他に居るの?手伝ってくれる人?しょうがないじゃない!」

 思い返せば渡鹿子島を出、日本を出、また日本に戻ってきたこの36年間、もう依紗に返せないほど世話になっている。依紗の掌に俺の掌を重ねてみる。依紗はまだ微動だにしない。雨の筋が掌を伝う。しばらく二人で雨に打たれていると、断定できないギランバレー症候疑で細くなった左腕の腕とう骨筋あたりが妙にポカポカしてくるのがわかった。命の光、UPE(超微弱光子)が俺を直そうとしているのかとふと思い出した。それを教えてくれたのは、確か?学校の講堂の壇上でヨーロッパ人が、植物も含めすべての生物は細胞が損傷を受けると、酸化ストレスに反応する光の粒子(光子)が放出される。私の考えでは、君たちが怪我をしてる時、要するに君たちはキラキラ輝きながら局部を直そうとしているのだ。まだ実証はされていないが・・・と話して受けている。学校?待てよ?これは俺が9歳以降の記憶ではないか?

 波のようにフラッシュバックが押し寄せてきた。めまいがするが、依紗に右肩をあずけ、何とか体勢を保つ。依紗は石のようにまだ動かないが、顔をあげて俺をつぶらな瞳で直視している。俺は、思い出したことをつぶさに話し始めた。話している最中に記憶がさらに上塗りされてはっきりとしてくる。だからまた戻って同じところから、同じ登場人物の説明から話し始める。依紗はまるで俺が語ることのすべてを予め知っているような顔をして俺の話に頷いてくる。いや、そうじゃなかったな、まてよ、こうだったかも知れない。依紗がまた頷く。

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