第十話
俺が実子でないと疑う親父に邪魔者のようにスイス・シャッフハウゼンのボーディングスクール体操専科に入れられてから丸々一年たってやっと母が会いに来てくれた。表向き稽古という名目の体のいい虐待があまりに限度を超えているので、母由真も俺を親父から引き離すことに同意したに違いない。
冬季オリンピックで札幌と姉妹都市になったミュンヘンの日本人会の新年会に招聘されてバイオリンの演奏をしに向かう途中、迂回して、好物の月餅や落雁や切り餅を持ってスイスに立ち寄ってくれた。宿舎の厨房を借りて、白玉入りの白みその雑煮を調理してくれた。日本から送られてきた「黒猫のタンゴ」のレコードを寮のラウンジで一緒に何度も聞いて、母のバイオリンに合わせて一緒に歌った。寮生もその歌を知っていて、日本語・イタリア語・ドイツ語の大合唱になった。
「団。一緒に来ない?ねェ、一緒にミュンヘンに行こうよ!学校にはお母さんが話してみるから。お父さんには絶対ナイショで!一緒に来ちゃいなよ!」
この母との小旅行がひょんなことで話題となり、Danaの合流で大評判となった。俺は9歳で、Danaは二つ年下だったから7歳だっただろう。確か一番初めに「黒猫のタンゴ」はミュンヘンの日本人会の余興で俺一人が日本語の歌詞を母のバイオリンの伴奏で歌った。聞いていたルーマニアの楽器商のBarschelという紳士がグァルネリ・デル・ジェス(Guarneri del Gesù)のバイオリンを母に貸してくれて、歌が大好きというDanaという娘を連れてきた。今度はベルンのルーマニア大使館の新年会でワニのところは俺が日本語の歌詞を、キリンのパートはDanaがドイツ語で、さびの最後は二人でドイツ語で歌った。そのとき、母の思い付きで俺はカーニバルの化粧風に猫の髭を顔に描き、黒装束の忍者に扮して、白猫の帽子を被って歌っているDanaの後ろでバク転をしてみたら拍手喝采で、母のバイオリンは「素人っぽい」「大道芸人風」の演奏が「却ってメランコリックで絶妙」と評判だった。「音が全然違うもん。やっぱり名器よ!でも演奏が素人っぽいって、どういうこと⁈」と母が言っていた。スイスのテレビ局のスタジオやチューリヒのTonhalleやトリエステの地中海クラブの客船や病院船などとDan&Danaに半年ほどは出演依頼が殺到して、通っていたボーディングスクールに改めて休学届を出したほどだった。だから「黒猫のタンゴ」は、何度も何度も歌った曲だった。二人で。Danaと二人で。Barschel氏はいつもまるでマネージャーのように同行していた。母はオーケストラの一員としてよく長期の演奏旅行に出ていたから、親父は「黒猫」の演奏とはしばらくは気がつかなかったのだろう。
「団もDanaちゃんもよく聞いて。」
俺とDanaはウルム(Ulm)の大聖堂の中庭に降り込む雨を恨めし気に眺めていたところだった。テントは張られていたが、初夏の小雨は寒々としていて、奥でドイツ人が今日のプログラムの一つ、くるみ割り人形の金平糖の踊りを練習しているチェレスタの音がどうしても楽しげでなく、俺とDanaは目を合わせて、両肩をすぼめて見せあっていた。つまらない。のらない、ね・・・。Danaは何回も下唇を上唇に押し付けたまま息を噴き出してぷるぷると口先を震わせて遊んでいる。俺もそれを真似する。実は数日前、Danaのその唇にキスをした。二人で芝生の上でじゃれていたら、目が合った。大人っぽい眼差しでDanaが俺を見つめ返して、唇を突き出してきたから。胸がわさわさした。年上のドイツ人の少年をかっこいいとDanaがいうと、妙に悔しくなった。Danaの素振りが急に一つ一つ気になり始めていた。まだマチネ開演まではかなり時間はある。雨が止めばいいけど。とりあえず、ミルク紅茶を飲みにホテルに戻った。
「あのね、もう黒猫は今日でおしまいになるの・・・。」
そう言って母が椅子に横座りしてまた膨らませているDanaの頬を両手でしぼませた。上目でDanaが母を見上げている。
「Ne, ne!! さっきも言ったでしょ?私は行かない!まだDanとYumaと黒猫歌うの!ブカレストなんて知らない、Vatiといっしょがいい!keine Chance(ありえない)!」
母がDanaの頬に自分の頬を押し付けて背中を抱きかかえている。
「私はずっとDanといっしょにこのままウルムにいる!」
「団ももうスイスの学校に戻らないと。お父さんが迎えに来るって・・・。」
「え⁈」
それは間違いなく死刑宣告に近かった。親父は絶対だった。確か岡田団次は西ドイツのボンに古武道や柔術のインストラクターとして呼ばれてヨーロッパ入りし、何年か務めたのち、ブカレストの共産党のオリンピック強化委員会に招聘されてBUDO-KANを開き、館長として主に柔道の指導に当たり、ルーマニアの未来のオリンピック選手育成に尽力していた。ただ家庭内では道場での言葉の障壁に悩むあまり、うっぷん晴らしのDVが俺と母に向かうことが頻繁になっていた。道場では俺がよく親父の指導の通訳をやらされていた。
「ルーマニア語学校に通ったらいいじゃないですか!」
「余計なお世話だ!そんな暇もカネも出ねェよ!誰が払うんだ⁈何だったら、お前のキーキーうるせェバイオリンでも売ってくれんのかよ!生意気ほざいてんじゃねェぞ!」
「団だって、まだ正しく通訳できるわけないじゃない!」
「お前に似て、役に立たねェ虚弱児だぜ!団!ちょっとこっちへ来い!」
「やめて!団、外に行って!」
女癖も悪く、金髪の門下生には間違いなく手を出していた。閉じた事務室の奥から喘ぎ呻き声がするのを一人稽古の日曜日に早めに道場に着いていた俺はしょっちゅう聞いていた。ブロンドの門下生が裏から出てゆくのを待って、道場に入りなおしていた。
親父は音楽家の母のDNAを引いた俺のひ弱な体質を嘆いて、5歳ぐらいの頃から毎日小竹刀や棒などの武器を取り入れた星一徹張りの古武術の稽古を俺につけてきた。それはルーマニア人の弟子たちがなだめに入ることもあるほど過激な内容だった。場に緊張感をもたらすため、と言っていたが、泣かぬ日はなかった。骨折は毎年あった。その甲斐はあって、体格は細く小さかったが、9歳の俺は15歳の体格の倍はあるルーマニア人の入門生を軽く倒せるようになっていた。
「ま、せいぜいうまいもんを食って、体を作ってこい。」
痛めつけられて白目上目で睨みつけている俺に親父が薄ら笑いながら言った。子供心に、自分が邪魔になってきたことはわかった。自分がいると親父に母をいじめる口実を与える、それもわかっていた。母もいずれ俺が殺されるのではないかと本気で恐れ始めていることも。筋肉質にするため、と言ってスイスのシャッフハウゼン(Schaffhausen)のボーディングスクール体操専科に入学させられた。
「俺の子じゃ絶対ねェ!!」
「きちんと調べてるでしょ⁉」
「わかったもんじゃねェ、あんな検査。どっかで楽器いじってる弱っちィもやし野郎だろ、お相手はよ!もやしっ子じゃねェか、あいつ。」
「あの子に聞こえるでしょ!いい加減にして!」
「へェ、やっぱり聞かれてまずいことでもあるのかい⁈」
まもなく広場にメルセデスのリムジンが二台急停車して、親父と4名の屈強な南欧スラブ系の男たちがホテルに入ってきた。まずDanaが男たちに囲まれ、Danaを担ぎ上げようとした。
「Danaちゃんに乱暴しないで!」
母が親父に叫んだ。
「私がDanaちゃんを下まで連れてゆくから、手出ししないで!」
呆気に取られて声を失っているDanaの手を取って、母はホテルの階段を下りて行った。俺を睨みつけてから親父も下に降りて行った。窓から広場を見下ろす。Danaと母由真が男たちに引きづられてリムジンの方へ乱暴に拉致されてゆく。Barschel氏が広場を走って横切って来る。Barschel氏が「何故だ⁉」と何度も叫んでいた。確か「Danaだけではないのか、なぜYumaまで連れてゆくのか、聞いてない!」と叫んでいた。親父にBarschel氏が詰め寄った。次の瞬間、Barschel氏の190cmの巨体が宙を舞った。
「Ich komme zurück!! Bestimmt! Glaub mir!! Unbedingt!! (戻って来るわ‼きっとよ!信じて‼絶対‼)」
母由真はそう叫んでいた。血相を変えて。声が涸れていた。母がBarschel氏を愛していることは間違いなかった。親父は敵意を丸出しだった。泣きじゃくるDanaの啼泣の方がはるかに広場中に響いていた。母が一瞬SPの腕を振り払って、敷石の上に投げ出されていたバイオリンケースに抱きついて覆いかぶさり、胸に抱えて、取り上げようとしても断固手放そうとはしなかった。奪われそうになると敷石面に倒れ込み、バイオリンケースの上に馬乗りになって抵抗していた。その死闘は、まあしょうがない、時間がない、と親父がバイオリンの携行を黙認するシグナルを送るまで続いた。ケースの中には、Barschel氏から貸してもらって黒猫のタンゴを弾いていたグァルネリ・デル・ジェス(Guarneri del Gesù)のバイオリンが入っていた。俺はこの時、部屋のクローゼットから全体重を掛けて取り壊した1mほどのパイプハンガーを持ってホテルの階段に飛び出していった。

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