ジュンが描き上げた二枚の200号のキャンパスがKaysersberg城内の丸井戸の後ろの城壁に立てかけてある。ヘルパーたちがDomaineの二階のアトリエの窓から大きすぎるので大騒ぎをしながら下ろして、城に上る葡萄畑の畝坂を奇声を上げながらやっとのことで運び上げて、舞台の書割として設置し終えた。この年のFête des vendangeは天候の関係で繰り延べられて、アルザス・ワイン街道開設20周祭と合わせて村が大々的に催すことなり、毎年の最大のイベントであるクリスマス市並みの混雑となり、Kaysersberg城内は振舞われたワインとTarte flambéeに上機嫌の観光客と村全体の住人とで溢れかえっていた。
村長がマイクを握って一生懸命、日本の有名な画家Juin MORIYAが新作を今日の20周年祭のアトラクションに貸し出してくれたこと、Juin MORIYAの故郷の秩父の友人のダンサーがわざわざ日本から来賓してくれてアトラクションに出演してくれること、今年の収穫の質が絶世であることを話しているが、音量が足りず、ボリュームを上げるとハウリングしてしまい、客に一切届いていない。
「こりゃ、能どころじゃないやいな・・・、守屋先生よウ。」
小鹿野歌舞伎清和会から来てくれた若い衆がぼやく。ジュンはまるで気にしていない。
「そうですよね、これじゃお能じゃなくても、フラメンコ踊ったって誰も見てくれないかも・・・。マイクだってなんか壊れてない?」
Erikaも両手を広げてあきらめ顔を隠せない。ジュンはまるで気にしていない。笑っている。Ottoがマイクを市長から譲り受けてコードを手繰り寄せながらジュンのところに持ってくる。
「ジュン、その恰好は何?変な帽子かぶっちゃって、それでもKimono?」
「これはね、日本の平安時代の平礼烏帽子でね、水干とくぐり袴でね、当時の狩りの恰好。」
「へェ・・・。そんな長い袖引きづってたら、イノシシに咥えられて引きずり回されそうだけどねェ・・・。でもそちらの方は、素晴らしい。」
「そりゃそうさ、本物の紅入りの唐織の能装束だからね。これからお面もかぶると彼は女に化身するよ?」
「え?彼、トランスジェンダー?」
「(笑)違う、違う。この能はね、役者は昔から役者は男だけ。男が男女二役をこなすからすごいのさ。」
「へェ・・・。日本はバチカンと似てるんだね。」
「?」
「ジュン、まあいいさ。それから、もうマイクはきちんと音が通るからね。」
「(しらじらと)へェ、もう直ったの?」
「(ウインクをする)俺はね、あの村長が大嫌いだからね・・・。」
「知ってるよ・・・」
「奴の演説なんか聞きたいもの好きはいないさ。聞こえんでよろしい。ほら、今、マイクテストしようか?」
「一応聞かせてくれる?」
「おーい、それじゃみんな、着火準備!Une・duex・trois‼」
Ottoの掛け声と同時にヘルパーたちが松明をスタンドに点火すると十基の大篝火が一斉に燃え上がり、丸井戸の周りの仮設舞台全体が煌々と浮かび上がる。着火剤のFire upの臭いがする。
「先生、これじゃ、薪能じゃなくて火事場能ですよ。明るすぎる・・・。」
「(笑)確かに・・・。ま、お許しください。フランスの山中の村ですからね・・・。」
ジュンがマイクを握ると、裏で控えていたさとしが太鼓をたたき始めた。群衆全員がジュンに注目する。OttoがErikaに目配せをしている。ガッツポーズをして見せている。ポーズをゆるめながら、ふと何かを見つけたようなそぶりで聴衆の後ろの方を横目で探っている。見てごらん、とErikaに目線で知らせる。ErikaがOttoの視線の先を追うと最後方にVon BranchitschがMonikaと並んで舞台を見ていた。清和会の若い衆が能面の木箱と祭囃子の篠笛を持って、さとしが太鼓を打っているジュンの絵の書割の裏に消えて行った。Ottoと推敲を重ね、暗唱したフランス語でジュンが口上をアナウンスする。
「みなさまにこれからお伝えもうしあげるのは、ニッポンの天福のころ、1230年ごろからフジワラという詩人が当時の昔話を写本して残したラブストーリーの一つの筒井筒という作品です。昨年の春祭りで上演した小鹿野歌舞伎を短くまとめて、台本のドイツ語訳はErikaさんにお願いして、フランス語訳は友人のソムリエOttoにお願いしました。お手元の20周年記念のパンフレットに載せてあります。しばらくの間、笛と太鼓で上演前の日本風の序曲、Overtureを演奏いたしますので、その間、ドイツ語の台本とあらすじをご一読ください。皆さんもきっとご存じの世界でも有名なKABUKIというより、その原形である能を手本としていますから、清和会の友人のお面をつけた伝統的な能舞の動きのない静かな、一つ一つの小さな動作に喜怒哀楽を丹念に込めた独特な日本古来の踊りを是非じっくりとご注視ください。
みなさまにも成就したかった恋、成就できなかった恋、場合によっては今の生活はそれとして、まだ心の底では実は待ち続けている人がおられるかもしれません。それを公にしたら、今のそれなりに確立している幸せな生活がこわれてしまうかもしれないから、心の底に固めて伏せている待ち人がおられるかもしれません。本当はそこにみなさまの『居場所』、みなさまの古語のラテン語で言う『in loco』があるのではありませんか?
そこにいるべき方はどなたですか?生きておられる方ですか?それとも、もうご存命ではないにもかかわらず、みなさまの夢のなかに時々出てこられる方でしょうか?みなさまはそこがどこだか本当はずっと探しておられるのではないですか?
今宵は、東西南北に関わらず、時代を越えて、時空を越えて、うつせみという今の生活に身を任せながら、ずっとみなさまも、わたしたち日本人も探し続けているそこ、in locoのことを哀惜の情をもって大切に思い返して頂ければ幸いです。そこに今夜、みなさまはやっとたどりつけるかもしれません。」
さとしが三重襷文様の童直衣姿で登場。
「昔、少年ありけり。歳はおそらく12歳ほど。」
提髪のMitsoukoが小袖に褶だつもの姿で登場。
「昔、娘ありけり。歳はおそらく6歳ほど。」
二人はジュンの先生の遺品の箱宮が置かれている丸井戸の周りを走り回る。Mitsoukoはススキの穂を靡かせながら走っている。さとしが追い付いて、Mitsoukoのススキを奪って井戸の中に放り投げてしまう。Mitsoukoが泣く。泣き続ける。さとしはMitsoukoの頭をさすって、なだめる。井戸の中を覗いてから振り返り、さとしは直衣を脱ぎあげてから、泣いているMitsoukoの背に後ろから掛けてやる。そして、丸井戸によじ登り、足をかけ、観客の方をしばらく見つめてから、そのまま井戸に落ちて消える。観客から一部、悲鳴のような声が上がる。Mitsoukoが直衣を頭から払って周囲を見回す。
「ありひらさま?ありひらさま⁈」
Mitsoukoは直衣を裏返しにして首に掛ける。さとしを探して直衣を引きづりながら舞台から退場。変わって、その直衣を肩に掛けて里の女役のシテが若女の能面を付けて二枚の絵の書割の間から登場する。深く静かな立ち方の謡が城内中庭に響き渡る。
「昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ、女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける・・・」
篝火の橙色の照り返しを浴びる前シテの若女の能面や装束がジュンの絵に溶け込むように観客には思えた。ジュンの一対の「絵馬」という作品。一方には侍烏帽子に常装の直垂の若い武士が目を閉じて坐位で笛を吹く姿が、もう一方には黄色の陪の覗く朱の小袿の公家の娘が、切れ長の目で正面を見据えている坐位像が描かれている。どちらもメインの人物がカンバス一面の大きな絵馬の中に描かれていて、絵馬に描かれた絵という構図。その大きな絵馬の周辺にはどちらにもキューピズムの手法で他に何枚もの大小の絵馬が散りばめられていて、それぞれに天狗やひょっとこ、天女などが描きこまれている。日本の夜祭の神社の森で笛を吹く兄とそれを聴く妹。二人がさとしとMitsoukoであることは明らかだった。Erikaだけではなく、事情を知る者だけには。
趣味の余興の域を超えた日本の出し物にKaysersberg城の観客が固唾をのむ様子が分かった。Erikaは目を閉じ、シテの謡に耳を澄まし、背後からそっとジュンの背中に額を当てている。
もうこれで会えません。じきに本当にお別れです。ぜんぶを話せなかったこと、許してください。でも、でも、本当にジュンと会えてよかった。Mitsoukoを有難う。本当にありがとう。必ず立派に育てます。これからも嵐の夜にはきっと話しかけるから、そこにはジュン、かならずきっとまた来てください。私の冷え切った肩に、ガウンをかけに来て。
演目の終わりに、ずっと隠れていたさとしが井戸から出てくると、観客から歓声と拍手の波が沸き起こった。