ロコ・終章

ロコ・終章 一

 行き合いの空で質量のある深い白雲の塊の縁が秋風に引かれ、輪郭の端から無数の白い筋となって四方に延びてゆく。この秩父の空を見上げることがまたあるとはさとしは思っていなかった。熊谷駅前でホテルからの迎車がさとしを待機していた。ロンドンタクシーの新型ブラックキャブTX4で、オースティン時代の面影のあるコロリとした黒塗りの車体は駅前で一際目立っていた。SDGsに適応したゼロエミッションのEV車で、ドライバーと客席の間は以前のブラックキャブそのまま、小窓付のガラスのプレートで隙間なく仕切られていて、コロナ感染対策にも配慮がなされていた。年代物の重いトランクを持ち込んでも二人用シート向かい合わせの本来4人乗りの客席には十分スペースがある。そこに一人で座り込み、窓を全開にして、空を見上げている。この秩父の空は、さとしが子供の時に一度閉じてしまった。この空に瑞雲が見え、夜空に月光環がほのぼのと浮かんでいたのは奥秩父の両神村の父の実家の敷地内のアトリエに暮らしていた短い時間だけだった。三才の時母が死に、しばらく父と二人きりとなり、その後、さとしは秩父のこの空の雲を見守ることなく、この空を立ち去ったままだった。
 真夏の夕立の季節を過ぎて、この白い長い糸雲の筋が積乱雲の間を結ぶようになると、父ジュンと母利恵が黄房水仙の球根が埋まっている前庭一面に食べ残した鮭やヤマメを埋めて作った自家製のコンポストを掘り返して米糠と混ぜた有機肥料を追肥していた。発する異様な匂いをさとしが嫌がると、父母は泥まみれの額を拭いながら、大笑いをして喜んでいた。二人が喜ぶのが嬉しくて、さとしはわざとまた臭がってみせた。もう五十年以上の年月が過ぎている。
 夢に色がないというが、さとしが時折夢に見る当時の両神の風景は鮮やかな色彩に溢れている。特に画家の父ジュンの祭りの絵に必ず灯されていた万燈の提灯の黄色はその夢全体を包み込んでゆくほのぼのとした地明かりの色合いだった。
 目を覚ますと、決まってさとしの顔に朝陽が差し込んでいて、さとしは瞼の裏側にその映像の余韻を感じながら、ブリュッセル市街の現実の生活の中で起床を強いられることになる。
「なんだ、そういうことか。もう朝か。」
 そして目覚めたのが、焼き上がったパン生地の香ばしい芳芬とチョコレートの甘い香りのするブリュッセルのショコラトリーの社員寮の最上階フロアーであることに改めて安堵する。ショコラトリーの朝は早く、二度寝を享受できる暇がないことは毎朝不服ではあったが、瞼に朝陽を感じて、目を開けると、見慣れた漆喰の天井の陰影が見えると心から安堵する。
 子供の頃一度発症したレーベル病。毎年夏になると父のアトリエのあるフランスのKaysersbergに行って遊んでいた。その旅先で父の死を知らされた夜、目の中央に黒い影が突然現れ、目を擦るたび、その中心暗転が視角全体にどんどん広がり、正面が全く見えなくなった。朦朧としたまま飛行機に乗せられて、両神に戻った。実はさとしの記憶がそこから断片的に途切れている。大きな手に引かれてまた飛行機や列車に乗っていた気もする。
 ある朝、目覚めると知らないヨーロッパの病院にいて、目の端だけ少し見えるようになって、とにかくあのKaysersbergに戻ろうと闇雲に列車を乗り継いでいる間中、階段から落ちたり、転んだりを繰り返していた。「Gelbe() Affe()!」と怒鳴りつけられたり、突き飛ばされたり。それが数週間だったのか、数カ月だったのか、さとしにはわからない。列車の障害者用のトイレに籠って息をひそめていた時、中心暗転の大きな黒い輪が少し縮小していった。正面のものが若干は識別できるようになった。乗り込んでいた列車はブリュッセルに着いた。その神変以前に戻りたくない。毎朝あの子供の頃押し込められた暗黒の中で目覚めたのではないことに心底ほっとする。
 ただ、再発の蓋然性は高く、医者にさとしの当時の視力の回復自体が奇跡的と診断されている。さとしは見たいものを見残さないようにとこの頃は目に入るものを強いて網膜に写真のように貼り付けている。すでに再発の兆候と思われる電波のような線が右目の視界の中央を走り始めていて、また見えないはずのものが見えたりし始めている。だからこそ毎朝の視力確認の儀式には大きな意味があった。
 高天井の漆喰を見上げたあと、部屋の長辺の両方の壁に向かい合わせに立てかけてある200号の二枚の油彩画を交互に目を凝らして確認する。父ジュンの一対の「絵馬」という遺作。一方には坐位で笛を吹く侍烏帽子に常装の直垂の若い武士。もう一方には黄色の陪の覗く小袿の娘。それぞれがカンバス一面の大きな木目の絵馬の中に描かれていて、周辺に他にいくつもの中小の絵馬が舞い上がるように描き込まれている。それら絵馬のデフォルムされた天狗やひょっとこが曲に乗って舞っている。日本の夜祭の神社の森で笛を吹く兄とそれを聴く妹だと父は言っていた。この二枚の大きな父の遺作「絵馬」一対を、今向かっている長瀞のホテルに寄贈しようと考えている。父ジュンの里帰りになる。
 三年前、秩父長瀞のホテルが地元の工芸品等の展示作品を公募していると知って、問い合わせたところ、いつでも視察にお越しくださいとホテルからブリュッセルに無期限の無料宿泊券がEMSで届いた。ちょうどその頃、M百貨店本店からブリュッセルの名門ショコラトリーとして日本のバレンタイン向けの出品要請があり、半分ジョークのつもりでUBS銀行の昔のゴールド・バーをコピーした金塊の表面の僅かな凹凸の襞まで故意に強調した凝ったパッケージに、日本でも有名なパリのパティシエがレシピしたプラリネを一個一個包んで入れた新商品を納入したところ爆発的に売れた。無料宿泊券への返礼にその人気商品「Loco Tokyo」をM百貨店から送らせた。日本向けに、一つの干し葡萄入りのプラリネはさとしが父ジュンと毎夏訪れていた思い出の地Kayersbergの古城と葡萄をモチーフにした日本の和紙の切り絵をラミネートして包んでみた。
 搭乗でレーベル病が再発する惧れがあったので日本行きは控えてそのままにしていたが、今年からM百貨店本店地下にブースの割り当てを受諾して、常設店を出店することになった。ショコラトリーの主人は無理するなと言ってくれていたが、年間の平均売上高を凌駕する日本のバレンタイン商内を今後に向けて確定できれば、世話になりっぱなしのショコラトリーの主人に大きな恩返しができる。それ以上に、再発の危険を押してでも45年振りの日本行きをさとしに決意させたのは、実は一本のメールだった。
 出張するのならとペンディングのままだった長瀞のホテルにもHotel Network Systemに仮予約の入力をしたところ、フロント係のM. Iwakiからなぜかフランス語で個別の予約のコンファメーションメールが届いた。添付写真があって、「Loco Tokyo」のプラリネのKaysersberg古城の包み紙を広げて撮ったもので、それは三年前の最初のデザインのものだった。画像の中に添え書きがされていた。

【 C’était délicieux. Merci(大変おいしかったです。有難う)】

 異常なほど胸の高まりがあった。その画像に書き込まれた丸み文字は女性の筆致に違いない。まさかとは思うが、このM.はさとしがずっと探し続けてきたMitsoukoなのではないか。そんな直感があった。それを確かめるためならば、事情を押してでも、秩父に行こう。さとしは絵のトラパレと、父が大切にしていた父の師匠F氏の作った箱宮も解体してトランクに詰めて日本に持って来ていた。
 記憶にある石畳の川岸に下る商店街の坂道を逸れて、ブラックキャブがホテルの建物と思われる方へハンドルを切る。よく見かける小窓が並ぶビジネスホテルだが、入り口に向かう狭いスロープの両サイドにまだ樹高4メートルほどのポプラが等間隔に植樹されていて、間に黄色い薔薇の植え込みがされている。建物の最上階は二階層分が全面ガラス張りの格子窓で、青空と行き合いの雲を映している。明らかに最上階だけが改装されて間もない。搬入を手伝おうとするドライバーを丁重に断って、さとしはトランクを引きづってエントランスに向う傾斜を登る。谷川の音がする。風を感じる。川の音というより、太古の昔からここに吹いている山森の樹々の枝櫛を抜け、川面を掬い、岩間をすり抜けてそれら全てを纏って聞こえてくる風そのものの音。その風の音をさとしは良く知っている。
 さとしが今歩いているホテルの高台から数百メートル降りた荒川の岩畳から若い母利恵は足を滑らせた。実は、自分のレーベル病が息子のさとしに母系遺伝することを知って、絶望して身投げしたという噂もあった。父ジュンは溺死した母を抱いたまま夜伽から離れようとせず、さとしを追い出し、半狂乱状態でアトリエに引きこもってしまった。警察も来て皆でジュンを引き離している光景を3歳だったさとしは刻明に記憶している。
 秩父夜祭の巨大な山車とその前で嘶く白馬のオーバーラップした構図のシャガール風の200号の大作で「祭りの画家」として有名になった父ジュンがアルザスの観光見本市に小鹿野歌舞伎の紹介に文化庁から派遣されたことが切っ掛けでフランスに行くようになり、さとしも毎夏アルザスに同行するようになってから、父はまた正気を取り戻していった気がする。さとしが小学校に上がる前の年から合計で6回はKaysersbergのアルザスの僻村のDomaine Weinflussに毎年一カ月程逗留していた。ワイナリーの母家の二階の一部をアトリエ兼アパルトマンとして父ジュンは借間していて、敷地内に併設されていた託児所兼こども園の子供たちとジュンは毎夏真っ青な青空の真下で、葡萄畑の畝が幾何学的に規則正しく列をなしてせり上がり、せり下る小高い山を駆け回って自由に遊んでいた。フランス語やドイツ語や日本語で、地元の子と何の不自由もなく笑い合えた。小鹿野歌舞伎で稽古を受けていたので祭り太鼓や神楽笛を吹けるさとしはこども園ではスターだった。奇麗な一人の日本人の母親もいつも来ていて、抱いていたドイツ人との合いの子の赤ん坊は、夏休み毎に大きくなって、再会するといつも物凄く喜んで、絶えずさとしのうしろにトコトコ付きまとって、ジュンとさとしが日本に帰る前夜は大泣きで、その奇麗な母親ももらい泣きで悲しそうだった。
 女の子はMitsoukoといった。少しでも一人にするとMitsoukoは泣きべそをかいて、Kayerseberg村のFête des vendangesでいずれ披露するため一緒に練習していた父ジュンの意訳した能舞「筒井筒」のシナリオ通りに、さとしのTシャツやらアノラックやらを裏返しに被ってさとしが戻るまでDomaineの中庭にある大きな黒い切株とそこから伸び生えた若樹のポプラのそよぐ屋根付きの井戸の横で夜になっても蹲って待っていた。愛するひとの着ていた着物を裏返しに着て、井戸を覗き、その人の名を井戸の中に向けて呼べば必ず愛するその人の霊が戻ってくるという物語だった。さとしが人を愛おしいと思った最初で恐らく最後の無垢な心の鼓動。アルザスはレーベル病を発症する前のさとしの唯一の青空だった。思い返せば、目が不自由になる前までの少年さとしの短く凝縮された唯一の忘れがたい、少なくともまだ頼る片親の父ジュンもいた至福の時だった。
 6年目の晩秋、アルザス・ワイン街道開設20周年祭をKaysersberg村が催した。日本の小学校には父ジュンが病欠と嘘をついて逗留を延ばしてくれた。父ジュンは描き上げた「絵馬」二枚の大作を書割として披露し、山城のレンガ造りの高井戸に若い頃のジュンの絵の師匠Fが作ったという箱宮を置いて神社に見立て、まずさとしとMitsoukoがジュン演出の二人(まえ)神楽(かぐら)の舞を披露した。そのあと父ジュンが頼み込んで小鹿野から呼び寄せた歌舞伎清和会の若い衆がシテ役を舞った。篝火の燈色の照り返しを写す前シテの若女の能面や装束が父の絵の「絵馬」の中に溶け入るようにさとしには見えた。趣味の余興の域を超えた日本の出し物に観客が固唾を呑む様子が分かった。カーテンコールの拍手の渦の中、Mitsoukoの小さい手がさとしの肘をずっと掴んでいた。
 まさにその年、父ジュンは帰らぬ人となった。演目を終えて、葡萄の収穫も手伝い終えて、上機嫌のジュンは車を借りてさとしとスイスに帰国前のドライブに出た。投宿先のSt.Moritzのホテルで、降雪前にロシアからの極寒風Bise(北東寒風)が数日アルプスに吹き込む年には珍しい「漆黒に凍結」した湖が見られると聞いて、その湖の黒の色を見たいと父は一人でホテルからそそくさと近くのMalojaのSils湖に向かった。信奉していたセガンティーニのアトリエもあると聞いていたたまれない様子で車を飛ばして出て行った。が、そのまま車ごと消息不明の父ジュン。いつまでたってもホテルに父は戻らなかった。突然、夕方からあたりは大雪になっていた。父ジュンに何があったのか、さとしには未だ知る術はない。知る人もいない。目の前がそのままほぼ真っ暗になり、その後長い間、さとしには父母もさとし自身もいなくなった。
 父も恐らく冬の湖に嵌まった。父母を水に取られた。冷たい水に取られた。冷たかっただろうと想像するとさとしの手先も凍えてきて、体も冷えてくる。だから、さとしはずっと水際も避けて生きてきている。できることなら暖かい火のそばに居たい。ショコラトリーの自家焙煎室で発酵乾燥させたカカオポッドを昔ながらの手法で火を焚いて手回ししながらローストしていると、焦げたカカオニブの香ばしい暖かい香りに包まれてゆく。任されたその作業をしているうちに、さとしの視力はどんどん戻って来て、黒い点がすっかり目から消えた。身寄りなく、たった一人になってしまったさとしが焙煎室で思い出すのは、Domaineで、あげたチョコを美味しそうに頬張るMitsoukoの仕合せそうな顔だった。暖かい焙煎室の火の傍らで、さとしはいつもMitsoukoの愛くるしい顔と短い夏の日々の明るい青空を思い出していた。だからローストの時間は住み込みで徒弟に入った子供のころからのさとしの決して譲れない時でもある。生産部長になった今でも、この伝統工法は高級品ラインの製造過程に組み入れられていて、さとしは部下に委任するつもりはない。
 普通の家庭で普通の人生を歩む人にとって、それは誰にでもある少年期の淡い初恋の思い出に過ぎないだろうが、さとしの場合、明と暗に冷酷に分断された少年期の遥かあの時期を振り返らなければ、ベル・エポックが見当たらない。あの日々以来、さとしに青々とした青空は一転してなくなってしまった。合いの子のMitsoukoだけが仕合せだった時の象徴としていつまでもその後のさとしの昏い径のひそかな灯のような存在となっていった。水を極度に恐れる水面恐怖症を抱え、レーベル病再発を惧れて免許も持たず、身寄りが一切なく、ショコラトリーが唯一の行動半径のまま年月が過ぎてしまった。気さくな職人たちと温かいオーナーファミリーに囲まれた居心地の良いショコラトリーという殻を抜け出す必要もなかった。ただ、レーベル病が医者の言う通り、壮年期に再発するとしたら、さとしは目が見えるうちにどうしてもMitsoukoには会いたいと思っていた。漠然と、会える場所は日本ではないかとずっと思ってきた。
 父ジュンの遺作「絵馬」一対の笛を吹く若い武士はまず成長したさとしの姿に違いなかった。右目の下の黒子。そういえば、太鼓よりお前には神楽笛の方が似合うと良く言っていた。うまく吹けないさとしを慰めてくれていたのかもしれない。小袿の公家の娘が、仮にあのKaysersbergでいつもさとしのあとを金魚の糞のように付いてきた女の子ならば、父ジュンはさとしに妹がいることを絵で告知していたのかも知れない。日本語がたどたどしく、ドイツ語やフランス語を話していたMitsoukoだったが、それ以外、違和感はなく、日本の女の児と何ら変わりなかった。ドイツ人のパパを感じることが特別なかった。ハーフではなく、合いの子だと父ジュンはよく言っていたが、その違いが当時のさとしには判らなかったし、特に関心もなかった。
 視力が回復して、医者の許可が出た18歳の頃、KaysersbergのDomaine Weinflussを探し当てて訪ねると、ワイナリーの女主人のマダムが大声で駆け寄ってきて、さとしをきつく抱きしめた。父ジュンの死後、あの母娘も来なくなった、確かドイツ人のご亭主と離婚して、その後のことはわからない、スイスに移住したとも聞いたが、故郷の日本に帰ったのかもしれないと言った。6年間父ジュンが間借りしていた二階のアトリエはそのままだった。父の大きな遺作画二点をショコラトリーに送るように手筈をつけて立ち去った。その後、思い出が辛く、またそれが原因でレーベル病が再発するのを惧れて、二度と行くことはなかった。が、仮に当時チョコを分けてあげると仕合せそうに頬張っていた小さなあの女の子が日本にいるのなら、Kaysersbergの古城と葡萄の包み紙とLoco Tokyoの箱を手にして、さとしのメッセージを察知するかもしれない。和紙の切り絵には実はそんな淡い期待も込めていた。今だったら、いくらでもチョコをあげられる。
 とにかくMitsoukoには会っておきたい。レーベル病を再発する前に。だから東京行きを敢えて受けた。さとしの目が見えるうちに。場合によって、この生地再訪が原因で、再発するかもしれない。それでも。本望と言える。壮年期の自分にはもうそれほど時間が残されてはいない。仕合せになるための権利を行使できる時間は。さとしが本当にあるべき場所を探せる時間は。トランクのグリップにかける手が軽く汗を握っている。その汗を川からの風が掠めてゆく。胸の鼓動を脈々と感じながら、さとしはトランクのグリップの持ち手を替えて、回り始めた自動回転ドアに入り込む前に、振り返ってもう一度空の青の先を目で追ってみる。深く鼻息を吸い込むと、川の洗う岩苔の匂いがする。水の匂い。風の中から母利恵の声が聞こえた気がした。
「お帰り、さとし。」
 天井からカウンターまで全面ガラス張りのフロントで、イグが応対に出てくる。デスク内側のボタンを押すとスピーカーでイグの声が聞こえてくる。以前大騒ぎをして吊ってひらひらと風に揺れていた飛沫防止透明ビニールシートは撤去されている。
「ようこそ。お待ちしていました。お早いお着きで。あの、失礼ですが、日本語で宜しいでしょうか?」「もちろん。」
「いや、助かります。フランス語や英語対応の担当が、少し外しておりまして。どうしようかと思いました。Mr. Neuhausというベルギーの方だとお聞きしておりましたので。」
「もとは日本人です。」
「そうですよね。ご予約のコンファンメーションを当館がフランス語で返信しておりましたようで、メールの履歴を見て混乱してしまいました。申し訳ありません。大変失礼いたしました。」
 イグが少し慌てて応対している。横にいた十子が、最上階のラウンジにお通しするように、と言い残して消えてしまった。イグのPCには、フランス語のコンファメーションがまさに映し出されている。十子がフロントデスクの上に用意していた1500円のチケットをフロントの片上げ自動開閉のガラス窓を少し上げて、さとしに差し出す。 
「まず、えーと、お疲れとは存じますが、会場のご視察に最上階にご案内するように言われておりまして・・・よろしいでしょうか?」
「構いませんが。これは?」
「奥の一人用のエレベーターにお乗り頂いて、このチケットのQRコードの方を機内の小モニターにかざして下さい。コロナ感染症対策でエレベーターの中でお客様の体温を自動測定して登録させて頂いております。37度以上ですと、二階でエレベーターが止まり、そこがそのまま診療室になっておりまして、PCR検査等をご受診いただくことになります。近くの倉木病院の看護婦が常駐しております。問題なければ、最上階まで自動的にお越し頂けますが、クリーンテクノロジーのエレベーターには、人感センサー付きの照射型のUV-C紫外線のダウンライトも設置されておりまして、青い光のライティングですが、ウイルス除菌ですから、ご安心ください。」

「で、マスク着用のままですね?」

「いえ、最上階でお外しいただいて結構です。QRコードを翳していただければ、ガラスのドアが開いてラウンジの中にお入りいただけます。ラウンジの一階には地元産の食材だけの『風布』という軽食コーナーと地元物産だけのキオスクがあります。その一階の方でお待ち下さい。ラウンジには二台大画面のスマートテレビ・ルームがありますので、お入りいただいて、何でもお尋ねください。AIがお答えします。私より確かです(笑)。トランクはお預かりしましょうか?」
「いえ。結構です。持って上がります。」
「お客様はご招待ですが、その1500円の500円は本来頂戴するラウンジの入場料です。残りの1000円は、当館からの皆様へのプレゼントで、いわば、この秩父郡全域でお使いいただける地域振興券で、このチケットを500円の割引券として今日当館でお使いになるか、1000円の地域通貨として全額ご登録頂くかの二者択一をして頂きます。ラウンジで500円相当のご飲食やお買い物に今日お使い頂くか、または、1000円を地域通貨の『和銅』としてご登録頂くかのどちらかお決めください。『和銅』としてご登録頂く場合は、500円の本日だけ有効な割引券の権利はなくなります。どちらになさいますか?」
「『和銅』?和同開珎の和銅?あの、黒谷の遺跡のこと?」
「お詳しいですね!」
「小学校の頃かな、歴史で習ったかな・・・。」
「その通りです。商工会で募集したら、奈良時代の秩父の和同開珎にちなんで、令和の『和銅』って決まったらしいです。」
「でも、おカネ払わないでいいんですか?」
「ご招待でなければ、500円入場料を頂きます。」
「でも500円のタダ券も貰えるのでしょう?マイナス経済だね。」
「よろしければ、500円以上召し上がっていただければ、経営も喜びます。」
「(笑)じゃあ、私は申し訳ないから、『和銅』1000円分に替えてもらうとして、どうなるんですか?」 
 イグはデスクのボタンを更に押して片上げ窓をもう一段上げて受け渡し口を広げてから、得意げにタブレットをさとしの方に向ける。タッチペンでスクロールして提示したのは、『和銅』で支払い可能な地元の店舗や業者のリストだった。
「加盟店は続々と増えてます。でも、秩父だけですけどね。」
「え?車まで買えるの?」
「まァ、ご登録の『和銅』の金額分だけ当てられるということですけど。」
「横に書いてある%は何?」
「100%なら全額、50%なら半額分が『和銅』で支払えますということです。」
「なるほど。なかなか1000円じゃ車は無理ってことだろうね。」
「いや、それがそうでもないんですよ、特に地元のメンバーの間で『和銅』が流通しているので。外部の人もネットで『和銅』を買うんです。500円で三か月有効な1000円分の買い物券か福引券になるんで。うちに泊まらなくても、秩父に観光に来る人にはメリットしかないでしょう?それに、月一で、『和銅』を持っている人がネット投票に参加できて、地元の店舗が新商品の開発におカネがいるとか、ワイナリーが海外から樽を取り寄せる資金がたりないとか、タクシー会社がスタッドレスを全車に急遽装備したいとか申し込んで、仮にネット投票で一等に選ばれてその月の『和銅』の残高が割り当てられて実現したら、助けられたお礼に何をするか公表するんです。」
「例えば?」
「ワイン36本とか、中古車一台とか、お歳暮用の羊羹何件でも送料込みで発送しますとかです。」
「誰に当たるの?」
「それは一等賞の業者次第らしいですが、今までは一番『和銅』を支払ってくれていた人ですね。」
「その辺が腑に落ちないけどね。」
「まァ、当館のお客様でも、外部の参加者でも、元手は一枚500円ですから、それで、地元の誰かに資金援助出来て、地元産業の振興になって、場合によって500円以上の返礼品が貰えれば、文句はないようです。IBM社のブロックチェーンで管理されていて、ご自分の『和銅』がその後どこに支払われたかとか、秩父のどこに貢献しているかが追跡できるんで、何かみんなで参加して秩父を応援している感じですかね。もともと海外から一億円の出資が『和銅』にあったらしいですが、ネットでバズって、この二年で残高は三倍以上です。一等に当選した地元の業者同士で、例えば大工さん同士とか『和銅』で支払いをするようになって、今は、商工会と地元の地方銀行Mが管理してます。うちが始めたことですけど、うちのラウンジはお一人様限定のご利用ですから、貢献度はもう低いです。」
「支配人さんがやり手なんですね。」
「いえ、スタッフの女子のアイデアです。」
「ヘェ、そうなんですか。どなたの?」
「井脇というフロント・マネージャーです。」
「メールの方ですね?女性でしたか。下の名前は?」
十子(みつこ)さんです。私たちはじゅうさんって呼んでますけど。」
「ジュウ?」
「そうなんですよ、数字の十なんです。ホテルではフロントですけど、実は埼玉県の商工会連合会の副会長で、支配人なんかよりずっと偉いんです。」
 さとしは『和銅』のアプリのインストールと1000円登録をしてもらって、エレベーターに向かった。6歳だったMitsoukoがその後どういう人生を歩んでいったか知る由もない。別人かも知れない。青いライトを浴びながら、Mitsoukoの母Erikaの元夫が有名なドイツ人弁護士で、Erikaはスイスの特殊な金融機関のフランクフルト支店に勤め始めていたことを父から聞いたことをふと思い出した。
 230nm以上の波長をカットした人体に害のないUV-C紫外線のファシリティー・ライティングが張り巡らされた天井。ウイルス抑制・除菌対策として、常時天井の空調から軽微な外気が室内に取り込まれ、柱の所々から湧いている次亜塩素酸水の噴霧が気流に押されて下りてくる。その室内の空気は、微細な無数の吸引空気孔が施された特殊な滅菌加工のフローリングに吸引され、床下のダクトに集積されて、イオン化ワイヤーフレームの電磁場で汚染物質を帯電して除去するフィルターで浄化した後、屋外に排気されている。このテスト・システム「Clean zone solution」を寄贈敷設したプランナーとしてスイスのCO₂回収装置のCW社のプレートとシステム図解が入り口脇に填め込まれてた。
 ラウンジはメゾネットで、一階層には「声掛け可」、二階に上がる中階段の一段目中央には「声掛け不可」の立て看板が仰々しく置かれている。二階には10部屋のプライベート・オフィス・ボックスと男女の浴場とサウナのRelax spaceがあることが図示されている。
 一階は、山小屋風の壁一面、自動開閉の船底天井や柱、仕切り面には檜岳産の秩父檜がふんだんに建材として使われている。窓は手の届く高さにはコの字型のラウンジの全面が押し出しと片開きの両方ができる木目のサッシで囲まれている。コの字型に奥行1m程の檜板のカウンターがぐるりと壁全面に填めこまれていて、窓一面に対峙して一席のプライベート・スペースが20席割り当てられ、ノートPCが置かれている。
 ラウンジの中央に防音ガラス張りの温室のような箱型の二部屋があり、それぞれにスマートテレビの大画面が置かれていて、外からでも何が映し出されているかがよく見えるようになっている。関心があれば中に入って話題の輪に、ことさら外交辞令なく参加できる仕掛けになっていて、箱部屋の中には、ソファーやテーブルが無造作に置かれている。6、7人が座って談笑したり簡単な飲食を自由に楽しめるスペースで、「セルフ・サービス」の張札が至る所にある。今も初老の男性客二人が中でスマートテレビに向かって何か言っている。笑い顔があまりにも楽しそうなので、思わずさとしは軽量防音サッシを開け入ってみる。
「ほれ、AIさんよ、だから明日暴騰する銘柄を教えてみなよ!」
「質問がよく聞き取れません。もう一度、お話しください。」
「だからさ、さっきっから言ってるじゃろ、明日、あ・が・る株!バカ野郎!」
 もう一人の男性客が大笑いしている。
「キトウさん、そりゃ、絶対無理!ほら、ほかのお客さん来たから、もうやめなさいよ。」
「ありゃ、おたく、新顔だね?ネット投票の結果を見に来たのかい?」
「いえ、今、初めて来て説明をうけたところです。今回は何が当たるんですか?」
「秩父鉄道のSLパレオエクスプレスっていう蒸気機関車の往復タダ券10回分です。まァ、この人みたいに株の亡者には関心薄いでしょうけどね、私は孫たちにあげたいので。」
「てことは、秩父鉄道の三峰口駅舎の屋根の改修工事が一等にならんとトミーさんの和銅がパーになるってこったな。」
「パーになるって決まったわけじゃないじゃない。」
「いくら出したの?」
「5000円分。」
「(顔の前に縦に立てた掌を左右にパタパタ振りながら)トミーちゃん、アンタ、相変わらず相場観ないねェ。相手は全国のSLファンだよ?そのみんなが狙ってる。」
「だめかな・・・。もっと出しときゃよかったかな。」
「だめ、全然だめ。最近、相場が上がってるから、それっぽっちじゃ、一番になれっこない。」
「一番になれなくてもさ、私、漫画に三峰口のこと書いてんのよ?アニメの聖地になるかもですよ?社長も知りあいだし。」
「それ、インサイダー取引。特別利益供与。ますます、だめだね。」
 部屋の防音サッシが開いて、十子が入ってくる。
「あれ、十ちゃん、どうしたの?」
「どうしたのじゃないですよ。また、キトウさんですか!AIからさっきアラームシグナルあって、飛んで来たんです。何を今度はしたんです?」
「いや、別に。株式市場の動向を尋ねただけだけどね。こいつ馬鹿だから、わかんねェらしいんで、馬鹿と言っただけさ。なァ、トミーさん。」
「そうですけど・・・。それより、十ちゃん、どうしたの?」
「と仰いますと?」
「よっぽど慌ててきたの?」
「?」
「制服、裏返しだよ?」
「(間)」
 さとしに十子が気づく。トランクに目をやる。十子の裏返しの制服のジャケットと十子を凝視しているさとしに気づく。
「あの、今日ご到着のNeuhaus様ですか?」
「はい。」
 AIが反応して、「明日の東京株式市場」というワードで全国に共時態検索でZoom Meetingを掛けたらしく、スマートテレビの大画面いっぱいに無数の招待客の小さい画像が並んでいる。AIから「7番席に移動してください。Meeting用リンクを開いてご参加下さい。」とメッセージが画面中央で赤く点滅している。
「何だよ、頼んでねェのにな。AIの答えが知りてェだけなのにな。ま、いいや。トミーちゃん、窓際の席に移ろう。ネット投票の結果はあと、あと。株探がさき!」
 二人が退室する。送り出した後、防音サッシを後ろ手に閉じ、スマートテレビをOffにして、制服のジャケットを着直すことなく、裏返しのまま、十子はさとしをじっと見つめている。くっきりした二重が目尻まで上がり気味に伸びている。父ジュンの絵の小袿の公家の娘の目に似ているかも知れない。左目の方が若干大きめで、丸みがあり、さとしが強がって転んでも痛くないというと「ホント?」とじっと言葉の奥を覗き込むようなあの目。父ジュンの左目に似ているとふと思い当たる。瞬きの少ない、本質を探るようなあの画家の目。見えないものを見通そうとする透き通った直視。
 目の前の十子という女性には会ったこともない。背丈は恐らく155 センチほど。ただ、立ち姿が周囲から浮き彫りになるような不思議な存在感がある。裏返しに着たジャケットの肩パッドが捲れていてわからないが、肩口からはどちらかというと華奢な印象を受ける。フロント業務定番の夜会巻だが、後ろで巻き込んだ髪はおそらくその肩口をはるかに越えるつやのある漆黒のロングストレートで、纏めるための金色のクリップ二つと真珠が一列に並ぶコームが際立つ。瓜実の丸みを帯びた柔和なラインの顔の両頬に笑窪が薄く浮かぶ。その頬にかかる後れ毛を時折指で耳に掛ける仕草。仰月型の唇にはヌーディー色のリップ・グロウを引いている。もしMitsoukoであるならアラフィフのはずだが、目の前の十子はどう見ても40前後に見える。家庭臭や生活感がまるでない。ふとショコラトリーの店頭の棚の上に何も盛り付けたことのないまま飾ってあるMeissenの白磁のTrembleuse(震える指用の両手持ちカップ)のことを思い出す。オークション物に匹敵するらしく誰も敢えて触れようとはしない。
 眼前の十子の表情に6歳までしか知らないMitsoukoを見当てることはできなかった。やはり期待外れで、別人だろうか。ただ、何となく、細い肩、耳に掛かるほつれ毛を掻き上げる仕草、首の傾げ方、露わになった耳、瞬きの全くないその左目の直視線をさとしは知っている。「どこに行ってたの?」と言ってさとしを今見上げたとしても何ら違和感がない気はした。
「お待ちしてました。」
「ご招待いただきながら、すぐ来れなくて。すみませんでした。」
「いえ。ようこそおいで下さいました。」
「3年前でしたよね?お招きいただいたのは?」
「(長い間。直視したまま)いえ。きっとずっともっと前です。」
「・・・。」
「45年前ではありませんか?」
 さとしの胸を鼓動が競りあがる。何か言葉を繋ごうとするが、言詰まる。そもそもさとしの日本語のボキャブラリーは少年期のままで、デパートとのビジネス交渉でも困惑していて、聴き慣れない単語、知らない大人の言い回しを鸚鵡返しにして乗り切っている最中だった。言葉の替わりに熱い呼気が気道から沸き上がってくる。もう一度だけでも会えればといつも想っていた母利恵や父ジュンや青い空の葡萄の山のKaysersbergの人々が今さとしの前に次々と現れ、大切な人たちそれぞれの息吹まで蘇ってくる。その最前列に十子が立ち、時系列が解け、時空が十子の背後に流れ込んでゆく。優しく、明るい、懐かしいアルザスの空が見える。
 さとしはトランクを開けて、父ジュンの遺作「絵馬」の二枚のトラパレを十子に手渡す。明るい防音ガラスの側面に押し付け、十子はさとしに背を向けて「絵馬」一対をじっと見ている。その背が小刻みに震えている。なにも言わず、箱宮をさとしは床に腰を下ろして組み立て始める。高さ40㎝の一社型の神棚の中にF先生の「俺神」の札、藪原神社の大麻、そして天照大神の神札を中央に据えて組み終わった箱宮をテーブルに置く。さとしはその前に立ち、二拝二拍手のあと一拝をしたまま、頭を下げて静止している。すると徐にジャケットを裏返しに着たままの十子が近づいて、さとしと箱宮の間に入り込み、さとしの膝元に蹲り、ゆっくりと両腕を鶴の翼の仕草で広げる。それは、45年前の父ジュンの二人前神楽の冒頭の演出だった。何度も何度も二人がジュンにダメ出しをされた舞い始めのカタだった。蹲ったまま、十子の押し殺した小声が床に落ちる。
「ずっと、待ってたんですよ?言われた通り、お城の井戸で毎日。こうやって、さとしさんのアノラック裏返して着て。お母さんも一緒にジュン・パパのお仕事着を裏返しに着て。二人とも全然戻って来なかった・・・。筒井筒ってお能のおまじない、嘘でした。」
 十子がさとしの膝に額を当てている。さとしの左の膝頭が十子の息で熱くなる。
「嘘じゃなかったでしょ、こうして・・・」
「すぐ戻って、遊んでくれるって言いましたよね・・・。」
「泊ってたホテルに警察の人が来て、日本人が凍った湖に車ごと沈んだって聞かされて・・・。気が遠くなって、突然目が変になって殆ど見えなくなっちゃった。Kaysersbergに帰りたいって何度も言ったけど、誰も何のことだかわかってくれなくて・・・。それからは何が何だか分からなっちゃった。どこにいたのかも。」
「みんな、死んじゃったかと・・・。」
「Erikaママは?」
「車は引き上げられたけど、ジュン・パパは見つからなかった。生きているかもしれないって、ママは最期まで信じたがってました。」
「さいご・・・?。」
「スイスの銀行の本社に勤めて、私を育ててくれました。Division Direktorinまでなったんですよ?凄いでしょう?お金持ちじゃなくて、お金のない労働階級が助け合える社会をつくるんだって、そのために銀行があるべきだって。和銅って受け取ってくれましたか?」
「フロントで貰った。ありがとう。」
「あれはね、ママが銀行でスタートアップしたWIRという銀行発行の組合通貨のノウハウを真似して実践しただけなの。低利でWIRを手元資金が乏しい組合員に融資して、組合員同士がWIRで何割かを決済できるから、中小の職人も仕入れコストを心配しないで大きなプロジェクトに参加できるでしょ?」
「へェ、それはいいことかもね。」
「ママがね、おカネがある資産家がおカネのない人民を低い賃金でスクイーズして搾取してたら、いずれ数名の資産家と独裁者に富が集中するだけだって。意味のある仕事をしたいと思っていて、その能力のあるみんながその資産家や独裁者に媚びなくても仕事を一緒にすぐ始められる社会にしなきゃ、3%の金持ちと97%の社会弱者ばかりの世の中になってしまうって。」
「何か、よくわからないけど・・・。」
「ママの若い頃の理想だったんだって言って頑張って。でも無理がたたって、癌に苦しんでいました。放射線治療で帽子を被るようになって、奇麗で有名だったママ、すっかり変わってしまって。」
「すごい美人だったものね、Erikaママ・・・。」
「十年前に亡くなりました。私、むこうではママのために准看護婦になって、ずっと看病をしてました。車椅子で時々暴れるようになってしまって。あれで物凄く力もあるし、射撃だってママはプロ並みだったの。知らなかった。元武闘派よって脅すの。最期は私が看取りました。」
 十子は立ち上がって、箱宮に手を合わせた。
「ママ、ジュン・パパが本当に大好きで・・・。でも、亡くなった前の奥さん、さとしさんのお母さんのことをジュン・パパは愛していて、自分と居る時、ジュン・パパは何か前の奥さんと話しているような気がしたって。ママはジュン・パパが本当の本心の居場所なのに、ジュン・パパはまだ前の奥さんのところに居る気がして仕方なかったって言って。」
 それはどうかな、とさとしは思う。お祭りの女の子の絵も、京都の舞妓の絵も、どれもなんかErikaママに似てきちゃうんだって言って笑っていた父ジュンを知っている。見えないものの方が良く見えると誰かにぼやいていたのをよく耳にした。ブドウの収穫期を手伝ってアルザスから帰国して暫くした2月に黄水仙の一郭に花が咲き始めると、酷く喜んで、花が落ちると落胆して、夏のフランス行のことばかりそわそわと話すようになる。毎年のことで、子供のさとしにも黄水仙の父にとっての花言葉が母利恵だけではなくなったことが分かった。
 十子が立ち上がって防音サッシのところに行き、閉まっていることを確認するように取っ手を一度押して、防音ガラス張りのボックスの周りに誰も居ないことを確かめている。
「最後の頃は、車貸すんじゃなかったって、ママ。別れた元パパの車だから、わざと車検もしてなかったのかもって疑ったり、あれは前の奥さんが水の中にジュン・パパを呼び込んだんだって、それを見たって言うようになって。車椅子ごと、Sils湖に沈めて欲しい、それが最後のお願いだって言って聞かないんです。あの人を取り返しにゆくって。何度も何度も一人で車椅子で病棟を抜け出して。」
「母さんはこの下の荒川にいるんで、スイスにはいない。」
「知ってます・・・。だから私、ここに来ているんじゃないですか。さとしさんを生んでくれたお母さん。そのそばに居れば、さとしさんにきっとまた会えると思って。引き合わせてくれるだろうって。」
「Erikaママにも会いたかった、もう一度・・・。Erikaママの焼うどん、美味しかったよね!Domaineのこども園のみんなと一緒に真っ白になってうどん粉を足で捏ねてたよね、よく故郷の福島ではこうやってSpaghettis japonais を作るんだって。」
「あ、覚えてる!さとしさん、足洗わないでうどんの生地に飛び乗るから、ジュン・パパに叱られてた!」
 さとしが十子に近づいて肩に両手を掛ける。裏返しのジャケットを脱がして、表にして着せ替えてから、肩をポンと叩く。後ろから抱き締めようとしたが、思いとどまった。その抱擁は子供同士でなく、また、兄妹同士のものとして幕引きできるほど、さとしにとって最早軽いものではないからだった。
住み込み職人としてほとんど外に出ることもなく40年以上を暮らしてきていた。それは、レーベル病再発に常に怯え、運転免許も持たず、両親の件から過度な水面恐怖症を患うさとしにとって、親戚も職場以外の知り合いもない生活の中で、Mitsoukoが唯一の心の寄り処であり続けたからだった。いずれ成長したMitsoukoに必然として再会する。素敵な女性になっていて、さとしの作ったチョコを喜び、あの楽しかった頃の青空の続きの空で妻として迎えたい。それが幻想に過ぎないことはそのまま壮年期を迎えたさとしにわかっていても、その幻想だけが外界とさとしを繋ぐ大事な心の支えになっていた。そのMitsoukoの肩を妹として抱くつもりはない。
「人の仕合せって何なのか、考えるようになりました。医師から処方された致死量のペントバルビタール・ナトリウム、バルビツール酸系の鎮静催眠薬をママの点滴に入れてバルブを回したのは私です。」
「えっ⁈」
「そうです。私です。モルヒネと酸素マスクも併用して、静かにママは亡くなりました。真冬のOrkanの吹き荒れる夜中、ママを車椅子に乗せ、ジュン・パパの墓石を膝に抱かせて約束通りSils湖に沈めました。」
「・・・。」「離婚したドイツのパパは弁護士として基本法に死ぬ権利を明文化しようとしていました。ベルギー安楽死法もその結果らしいの。ただ、住んでいない非居住者の安楽死がビジネスとして認可されているのはまだスイスだけで、その父も末期がんでスイスの自分が設立した安楽死協会に登録して亡くなりました。亡くなる前、一度だけ会いました。ママは指名手配中の過激派のテロリストの一人だったんだよって。若い頃は誰もが偉大な理想を追い過ぎて片端。理想が叶わないと死ぬしかなくなる。安楽死協会に来たけど、医者が承諾するはずもなかった。それでパパが匿ってくれたらしいの。国籍偽装したんだって。だからパパの姓をママは守って私を育てたんだって。パパはママを誰よりも愛していたって。それだけを伝えておいてほしいって。そして、この時計をくれました。ムーンフェーズが次の新月の日にAdieu(サヨナラ)だからねって。新月が過ぎてから、死んだとママに伝えて欲しいって。あと『すずろ』っていう香水の綺麗な瓶を渡されました。忘れものだよって言って渡してくれって。ママにプロポーズした時のプレゼントだったらしいの。本当に愛したママの手を握りながら死にたかったって。だけど、自分の自尊心が邪魔をするって。立派に成功して生きたかなんていざ死ぬとなるとどうでもいい。ホントに思うひとと一緒だったと思えれば一番人間は仕合せだったことになるよって。」
 立て続けの思わぬMitsoukoのその後の事実にさとしは言葉を失っていた。勝手に抱き続けてきたMitsoukoとの童話の断絶。だが、Mitsoukoではなく十子の重い軌跡が、自分の今日までの余りに孤独な人生と共通項があるように思えて悲しくなった。十子にも父母が居ない。十子にも居場所がない。ロコを探している。家族や恋人を越えたロコを探している。
「本当に一人ぼっちになって。確か龍が棲むという秩父の両神って地名をママから聞いたことを思い出して、ここに来たんです。さとしさんを探しに来たんです。ずっと待ってたんです。ひょっとしたらやっぱりもうここにも戻らないかもしれないって実は心配でした。本当に良かった。絶対さとしさんだって、三年前確信したの。」
「どうして?」
「だって、私が大好きだったチョコじゃないですか。さとしさん、いっつも自分の分もくれたじゃないですか。間違いないなって。それに、ママ、最後の言葉。さとしに会えたらいいねって。本当に好きになれるひとは、人生に一度っきりだよって。」
 防音サッシを開けて、支配人陽子とおにぎり君が血相を変えて飛び込んで来た。客のさとしがいるのを見て、立ち止まる。さとしは小声で結語を返す。
「それは、その通りだと私も今思います。井脇さん。では、絵は、ベルギーから航空便で送る手配をすぐにしておきます。とりあえず、成田の保税倉庫宛にします。」
「あ、そうですね。それから、一度是非、両神村もご視察ください。」
「え?両神ですか・・・。」
「その絵の守屋先生のご実家の跡地周辺は当館で買い取らせて頂いて、都心から移住されてこちらでテレワークをされる若手のご夫婦のコーテージやDomaineにあったような小規模なこども園や医療介護付施設の入ったマンションやコンビニに変わってます。国の総務省と県の地域定住自立圏構想推進プロジェクトの一つで、『ロコ村』って呼ばれてます。ネーミングは御社のチョコから拝借しました。スミマセン。守屋先生のアトリエはまだそのままです。是非、いらして下さい。宜しければ私がお連れします。では、ごゆっくっりお寛ぎ下さい。」
 十子は支配人陽子とおにぎり君とそのままラウンジを抜けてそそくさと出て行った。ラウンジには急にかなり客が増えて来ていて、窓際席でPC画面を皆覗き込んでいた。キトウ爺とトミーの7番席の後ろには人だかりがしていて、賑やかだった。『和銅』の投票が始まったようだった。キトウ爺がさとしを見つけて立ち上がって歩み寄ってきた。
「何か、アンタ、乙なもん持って来てるじゃないか、お宮のミニチュアかい?ご利益あるんかいな?すまないけど、ちょっと拝ませてもらっていいかな?」
「どうぞどうぞ。こちらへ。」
「(二拍手して略式に拝む)トミーさんのSLチケットが当たりますように!」

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