エッセイ集

君たちの名前を探している。

君たちの名前を探している。8年間、私の年越しの企画「HONZEN (本膳)」にBerlin、Paris、Wien、Zürichの大晦日のコンサートを終えて私のホテルに毎年駆けつけてくれた君たちの名前を。

2019年。館内の懐石レストランは失っていたMichelinの星を取り戻したが、最後の「本膳」となることを君たちには伝えていた。旅費の足しになる程度のお金しか支払えず、それでも、懐石膳と寿司の振る舞いを本当に喜んでくれた。著名な交響楽団員やソロでCDを発表しているバイオリニストやピアニストである日本人のプロの演奏家の君たちが。ひょっとして、この東京オペラシティのコンサートに名を連ねているかもしれない。

真砂なす数ある星のその中に吾に向かひて光る星あり 正岡子規

枯葦の中より飛びたちし鳥一羽風に抗ひあらがひて高し M.K.

懐石膳の止め碗を配膳したころ、君たちがようやく各地から全員集合する。時に大音声で、時に舞台台詞のように、短歌や俳句を私が日本語で、ドイツやスイスの俳優の卵がドイツ語訳を読み上げると、楽曲を君たちがトランペットで、マリンバで、ピアノで、バイオリンでまるで即興のように挟み奏でる。吊り大太鼓乱打の後、カウントダウンをパーカッショニストのH君が深く刻んで、私のホテルが終わり、私の33年の在ヨーロッパの夢の軌跡を閉じた。集まってくれた80名の食事客には知らせなかった。告知する前に、客はシャンペングラスを持ち出し、新年を寿ぎ合い、演奏者たちへの歓声と熱狂が転がるテラスで、雪深い冷気の山向こうに上がる花火を見上げていた。私も本当にすべてを出し切った充足に満たされた。

鳴き交はし頭上をすぎし白鳥らやがて一筋の光となれり  M.K.

あの寒村の山の上の無名に終わった私のホテルの最後のコンサートの抉るような真実の哀しみの上に君たちとなしえた舞台を超えるものに出会うことはないだろう。

君たちとはまたどうしても会いたいと思う。但し私に科す条件がある。これだけの充実を惜しみなく私にくれたその道のプロの君たちに、対等の立場であること。それでなければ失礼だ。私もまた何者かであること。君たちに会う資格のあること。まるで今はその私ではない。

君たちの名前はここにはなかった。よく日本にも演奏に帰国していた。きっといずれ君たちの誰かの名前があるに違いない。今は会えない。だから、チケットを買って、末席から君たちを見上げるしかない。きっとあの大晦日のことを思い出しながら、息を殺して演奏を聴くだろう。