(青年のワカメ、喜々として部屋を這い回る。)
ワカメ
へ、へ、へ。不思議だなァ、ウム、実に不可思議至極だぜ、あんなに嫌っていた「実験室」へ行くのが、こんなにたのしくなっちまったなんて。この俺がだぜ、へ、へ。俺はもうちっと自分は複雑な構造をしていると思ってたんだがなァ。あの「実験室」に入ると、途端に塩酸だのCH₃COOHだのナトリウムだの、ラベルが腹に貼ってある薬瓶が目に入る。フラスコや試験管の行列が俺に向かって突進してくる。俺が怯えているとカシャカシャ隠微な笑い声を一斉にたて始める。とにかく俺は、ああいったガラスみたいに、「私、ちょっと下手をすると、すぐに壊れてしまうの、割れてしまうの・・・。」と、ザーとらしいものには虫唾(むしず)が走るんだ。「私、一度壊れてしまったらもう決して二度と元に戻れないの・・・あなた次第よ・・・。」なんていわれながら何が実験だ!何が実験だ‼ガラスなんかより、まだマシュマロの方が許せる。あれは踏もうが蹴とばそうがマシュマロだ。あいつらは違う。割れちまうとフラスコでも試験管でもなくなる。元はと言えばケイ酸塩とかソーダ石灰にすぎない癖しやがって、あいつらの自己主張は絶対許せない、全部棚から叩き落としてやる!と恨み骨髄に達していたはずなんだが・・・アルコールとバリウムの可溶性について調べていた試験管の向こうにお前を見つけた!フラスコの向こうからお前がほほ笑んでいた!その瞬間から俺の炎色反応は緑からひっくり返って桃色変色しちまっていた。フラスコの向こう側でお前が微笑んだ・・・やったね!(鼻歌)
コロス(輪唱)
どうせ尽きせぬ人間喜劇
またぞろ俺様主人公
葉っぱ囁(ささや)く喜望峰
春立つ風と星の瞬き
ファンファーレ
ちょっぴりウインク俺様も
でこぼこのバレーボールがスーパーボール
弾み上がれば天井のコンクリートも突き破る
ああして こうして そうやって
軽佻浮薄に夜を翔ぶ
今日はここまで赤らむ頬に
アルコール 語り明かそう未来を胸に
十時過ぎれば門限だ
駆り出せ すべてのボキャブラリー
朝焼けを君と一緒に見てみたい・・・
信頼は この眼にある 胸にある
Understand?
ランランラン
そういうまなこは灼け爛(ただ)れ
ワカメ
るせい、てめーらは黙ってろ!そういういい加減なつもりじゃないぞ!いいか、よく聞け!俺たちはかれこれ19年間一緒に居たんだ、それも至近距離に!風呂も一緒に入った、メシも一緒だった!だが、胸がふくらみ始める少し前、お前の瞳が怖いほど透明になってしまった。その日から、俺とお前は少しづづ遠ざかっていった・・・俺にはどうしようもない残酷だった。そのお前がまた俺の前に現れ、俺の視線をとりこにしている。俺たちは生まれ落ちた所からして一番近いんだ、だから誰よりも近づいていける、そういう必然の回転の中に初めから居たんだ。お前が実験室に現れたのも、俺のフラスコの向こうから血だけが解読できる暗号を発したのも、すべては俺とお前が完全に共通の回転を回っているからなんだ。だから俺たちは俺たちが欲すれば、必ず共通のあの母胎へ、母胎の回転へ回帰することができるんだ!これはサーファールックでお手てつないで、腕絡ませ、とはちょっと違うんだ。必要ならばいつでも俺たちは母胎の中へ戻り、母の血液と接続し、浄化されることができる。そうしてこの世の矛盾から離れ、完全に一致できる。完全にお前と俺は重なり合うんだ!ああ、恋は文学だ!
コロスA
木馬さん!いらっしゃるんでしょ?!大家です!家賃を頂きに来ました!
ワカメ
まずい!(布団をかぶる)駄目・・・歯が痛くって・・・おォ痛!大家さん、僕を殺す気ですか‼
(ワカメ舞台の最前面に立つ。)
ワカメ
桜が散りそうだから、お前が電話をくれた。そんな春を知らなかったとしたら、おかしいことだが、24年間、俺は本当のところ気が付いてなかったよ・・・桜の花びらが真夜中CO₂を呼吸してゆっくりと閉じたり開いたりしている、そんな春しか・・・お前と桜の木の傍らを何本も何本も通り抜けて行った・・・すると純粋へ帰り着いた・・・お前の清冽な瞳の前で、俺は懺悔を知らぬ間に始めていた・・・まがまがしい夜はなくなった・・・いつ忘れてしまったのだろう、春が春だからこそその春を喜ぶことを・・・
(のりが舞台袖からゆっくりと登場)
ワカメ
驚いた!太陽は暖かい!この指が、掌が、全部俺のものだ!(財布を広げる)で、この380円は、カップヌードルのもので、俺のものじゃない・・・でも、お前の登場の瞬間から、何かこう、世界を信じられそうだ・・・お前の登場と、俺の世界に対する堅信礼は、因果のように符合してるんだ。ああ、お前にはわかるだろうか、お前の肩に、お前の髪に、お前の胸のふくらみに俺が触れたなら・・・。
のり
お兄ちゃん、そういうつもりだったの⁈
ワカメ
夢の火照りがこんなにもゆるやかに曳いていく朝なんて、本当に何年ぶりだろう・・・いつも夢から覚めると、俺の体温はすでにすっかり冷え切っていたんだが・・・ようし!明日お前の唇に焔の烙印を押してやる!
のり
お兄ちゃん、そういうつもりだったの?‼
ワカメ
会うだけじゃ足りないんだ、だから所有したい。お前を。抱くだけじゃ足りないんだ、ずっと触れていたいんだよ。そうしていると、いつも頭蓋骨の内側からばかりものを見ていた俺が解き放たれていくようなんだ。バケツの中でガラガラ喋っているだけじゃないか、なあ、世の中なんて地球全体が空騒ぎしているだけだぜ・・・(のりの手を両手でつかむ)お前の掌って、なんて小さいんだ、それに真っ白じゃないか・・・地球の空騒ぎの中に俺たちは全然違う島を造っていける。ああ、俺は幸せだ!俺の言葉がお前には通じた!覚えているかい?ほら、毎年やって来る一夜祭り(ひとよまつり)、あの祭りの回転木馬さ、9番と10番の二頭だけ、他の馬と逆向きだっただろう?二人で小さい頃、あの二頭によく乗ったっけ!地球は回っていればいい、俺たちはその中に別の島を造ってゆく。(無理やりのりを抱きしめる)俺の抱擁にお前は反り返って、お前の髪がうしろの港に絡みついて揺れた夜、はっきりと俺はお前にホレた!あの時から俺たちに夏は始まったんだ!
のりとワカメ 同時唱和
夜が濃くなるにつれて、水平線が私たちに近づいて来ました。
海の底を抉(えぐ)って、沖のうねりが地伝いに響いて来ました。
私たちは向き合わず、隣り合わせに座りました。
同じ方を見ていました。
ワカメ一人
ジオラマを見る思いで、目を細めながら。
のり一人
何を思うでもなく、黙って。
ワカメ
お前の長い髪の香りを呼吸していました。
のり
その呼吸を聞いていました。
ワカメ
お前は何か遠い物事を思い出しているような顔つきをしていた。
のり
みんな回ってゆくね、お兄ちゃん、波も、時間も。
ワカメ
そう?
のり
しょうがないものね、だから大切・・・
ワカメ
吸い始めて間もないタバコを砂に差し込んだのが
(二人同時に異唱)
ワカメ
小さなヨットのようだった。
のり
小さなお墓のようだった。
ワカメ
え?
のり
なんでもない・・・
ワカメ
お墓?どうして?
のり
帰りたいな・・・
ワカメ
どこへ?
のり
どこなのかな・・・
ワカメ
ここに居ればいい・・・俺の時間にもたれてくれ・・・俺の時間だけに腰かけて・・・お前はどこかでおれを救ってくれてるんだ・・・。どうした?何か顔が曇ったみたいだよ?なぜ黙っている?お前が必要なんだ、今の俺には。お前は俺に存在するんだね、俺だけに・・・何か言ってくれなきゃ、いいな?いいんだな?お前は俺に存在するんだね、俺だけに・・・?
のり
(長い間)お兄ちゃん・・・
わかめ
どうしたんだよ、急に?
のり
わからない・・・力がなんか抜けちゃった・・・
わかめ
そんな、どうして?なぜ?
のりとコロス 同時に唱和
わからない。夢が堕ちていったの。
何かが頬を抜けていったの。
ワカメ
影が背中からハラリとはがれ・・・
のり
お兄ちゃんは誰かの中へ逃げたいだけなんでしょう?
ワカメ
そうじゃない。必要なんだお前が。お前は受け取ってゆくだろう・・・受け取ってくれるはずだ、俺とお前の言葉を。
のり
嘘よ!お兄ちゃんからもらった便箋の上に流れ出たのは、溜まり溜まった沈黙だっただけ・・・自尊心だけが恋をしているような・・・(ゆくりと退場)
コロス
花に毒あり 顔を横切るカコの色
ものともしません イマあらば
そういう顔には斑点が
花に蔭あり 顔を横切るイマの毒
世にチョウチョウの数あれば
許します アスあらば
花の矛盾 顔を横切るアスの不安
蜜壺の陶酔の真っただ中
突き付けられた この短剣
上気だつ花の可憐は短くて
所有はうたかた 酔いもまた
忘我境 旅は旅
彷徨(さまよい)終わらば 御免あそばせ
花は散ります 移ろいます
いつの間に 地球の裏側に咲いてます
きっとあちらでファンファーレ
葉っぱ囁く地獄嶽
秋立つ風と星の瞬き フィナーレだ
すっかりうなだれ 俺様は!
ワカメ
俺のこの胸に浮かんでくる幾つものこの疑問符が、サハラ砂漠の砂のように灼けてくれればいいのに・・・そういうところでならせめて生きてゆける・・・一体誰が「何故」という問いかけを考えたんだ。「どれ」「どこ」「「何」のほかに・・・こいつさえなかったら、俺は、のり、お前を失わずにすんだんだ!どうしてなんだ、実際、何が一体どうしちまったんだ⁈ああ、クエスチョンマーク不要の世界で、何一つ俺に詰め寄ってこないところで、俺はこの骸骨を憩わせる・・・憩わせなくっちゃならない、また・・・言わんこっちゃない、だから世界なんか信じるものじゃないんだ、わかっていたのに・・・ああ、今夜も寝付けない。夜は窓のところまで寄せてきているのに、その波打ち際をゆらゆら行ったり来たり・・・静かだ・・・闇ってこんなに明るかったかなあ?あっ!また来てやがる・・・俺が眠れずに、それでもこうして瞼を閉じていると、いつも4,5人の男女が寄って来て俺の睡眠をのぞき込んでくる。何か言ってるぞ・・・
コロスA
これは単なる睡眠でしょうか?
コロスB
しっ!どうやら彼にはもう私たちが見えているようだ・・・
ワカメ
へっ!見えてるがどうした!そういえば昨日、向かいの家で葬式があったな・・・芽吹いたしだれ柳の葉隠れに幾人もの死者の顔が揺らめくのを見たことがありますか?夜、「死」が風に乗って家々の屋根を掠めて行き、昨夜は向かいの屋根に降りたようです、ヒトが死にました、葬列はおそらく雨に打たれながら細い路を歩いて行ったでしょう、白足袋が少しづつ汚れてしまったでしょう・・・か、くだらない!世の中から亡くなるのが、そんなに怖いか!世界と俺が乖離していく、俺の俺自身への発言が停止される・・・こうしてこの木造モルタルの一室で俺は欠落してゆく、枯れてゆく、枯れてゆく植物のように、一本の朽ちた植物のように落下する、仰向けに・・・(間)くだらない!在りもしない、できもしない、ただのセンチメンタリズムじゃなか・・・それも祭りに女を取られたぐらいで・・・一夜祭を転々としてフラメンコを踊っているんだとさ、グルグル回って、毎晩、オ・レ!!それでなくたって、バスに乗り込めば直方体の隅へ否が応(いやがおう)でも加速度ってやつに押し付けられ、都会の夜に無理矢理嵌め込まれ、無理矢理存在させられちまうってのに、へへん、地球さん法則通りにギシギシと自転してやがる・・・それでもまだ回転し足らずにフラメンコか、俺はたくさんだね。そういえば、一夜祭のスケジュールを満載した「ぺあ」とかいう雑誌があったな・・・「平和泥棒」とかいう劇団に所属しているんだったな・・・演目、演目と。これだ、「地中海の舞踏」か。チェッ!綿飴を頬張ってカルメ焼きを齧って、お祭りだッ!勝手にしろ!
全コロス
あなたも行きたいのでないのですか?遠慮などせず、さあ祭りへ、回転へ、赴かれるが良い。
ワカメ
向こうへかい、冗談!遊びましょッか、誰がいまさら!
全コロス
向こうもこちらもないのです。それはあなた次第です。
ワカメ
既成社会に関心はないね。俺も当初はいくつもの祭りの手前までフラフラ行ってはみたんだ、が、どういうわけかそれより先に進めなかった・・・だから・・・お前に逢いたくて・・・俺には見えていた、お前の周りにはもう、別の・・・
全コロス
回転が
ワカメ
できていることが。俺には俺の島があるんだ、俺の回転が、回転している・・・俺の回転の中に取り込むんだ、俺はお前を、そして世界中、俺を必要としているものを取り込んで、俺の方向の回転をしたいだけなんだ。(間)今、俺のそばを誰か通り過ぎませんでしたか?ありませんか、こういうこと。何気なく街角に立っていると、自分を必要としている人間が自分を探しているように思えてしようがないことが・・・でも誰もいない・・・
全コロス
だが誰もいない
ワカメ
お前も居ない
全コロス
あなたは待っている、今も、真夜中も、二人称の叩くノックの音を
(電話のなる音。消える。ワカメ固唾を呑む)
ワカメ
待ってください。それは俺宛のコールじゃなかったですか?(間)どうしたんだ、俺はやっぱり寂しいのだろうか。
全コロス
ノックを待つ青年はすべての繋がりから欠落してゆき・・・
ワカメ
のり、お前はあれからいつももう一つ向こうの駅で踊っている・・・向こうで笑っている。一夜祭のあと、お前たちは明日用の衣装で今日と最後の抱擁を交わす・・・誰も思わないだろう、その時一つ手前の街で俺が眼の上に弓なりの憂鬱を載せて歩いていることなど・・・あの頃、俺とお前は最短距離と最長距離の二つの距離を地球に強いられてはいた。でも少なくともお前のかたちも体温も俺の腕の中にあった・・・今はそれすらない・・・
コロス
あなたは求めているのだ それなのに、求めない。あなたは求められたいのだ、それなのに求められない・・・
ワカメ
違う!違う!
(箱を被る。中で泣く。箱から顔を出す)
なぜ結局俺は呼吸したくなっちまうんだ!
(窓がバタンと閉まる。ワカメ、呆然と立ちすくむ。「痴漢に注意」「凶悪爆破犯人」「この顔見たら110番」等々の立て看板にワカメ追いつめられる。)
閉じ込める気だな!それが地球の回転だ!結局そうじゃないか!俺を閉じ込めて本当に痴漢とかきちがいとか妹殺しとかにて上げようとするんじゃないか!
コロスB
あなた自身がそうしているのです。あなたが線引きした境界線にあなた自身が囲まれてしまったのです。
ワカメ
ようし!こうなったら一つしか道はない。求めようじゃないか、祭りに行こうじゃないか、のりを向こう側から救い出してみせる。地球の回転を止め、俺の回転を始めてみせる。俺は太陽と月を海にぶちこみ、美しいも醜いも、あるものないもの混ぜ合わし、この悲痛の中から笑いを沸き起こさせてやる!花火を、真っ赤な花火を打ち上げてやる!人生なんて、所詮いくつかのエピソードにすぎないんだ!
これがニトログリセリンだ!!
全コロス
私どもはなにも彼を避けたわけではございません。
遠ざけたわけではございません。
いえ、いえ
とりわけ私などは
彼を深く愛しておりました
それはもう・・・
フラメンコの向こう側から
彼の純白の視線が届けられ
彼の真面目さを
私なりに受け取ったつもりでございます
ただ・・・
私共のいるところが
地球という回転の内側であることが
彼には許せなかったようでございます
コロスA
彼は回転の重心へ
旅に出たいと申しておりました
コロスB
回転に 祭りに
逆行して見せると申しておりました
コロスC
地球儀を平面にのして見せるともうしておりました
全コロス
素敵だと私共はそう思いました
そうすれば向かい合った恋人同士が
実は同時に
最も遠い二つの点である
地球儀上の矛盾は消えるのですから
平面地図を一直線
彼は歩いて行くのでしょう
人それぞれ
幸福のかたちが違います
私共には ただ
コロスA
フラメンコの翻る
コロスB
さわやかなエロチシズム
全コロス
一夜祭の回転が
とても心地よいだけのことでございます。(了)