人 -human- 2024.08.30 意中の人ですか?今一緒の方ですか?それとも亡くなった方で忘れたことのない方ですか?大切なあなたのロコ人の事お伝えください。 通知を受け取る 通知設定 次のメールアドレスで投稿へのコメントの通知を受け取る Label {} [+] 投稿のタイトル* webサイト(動画のリンク先など) お名前 or ニックネーム* メールアドレス* Label {} [+] webサイト(動画のリンク先など) お名前 or ニックネーム* メールアドレス* 3 投稿 Inline Feedbacks View all comments 二岡Nobu 2024年12月1日 10:26 PM 本当に苦難に直面して困っている人に私に助言できることなどない。平和な国に生まれ、平凡に生きてきた私に。ひとの痛んだ心に希望みたいな灯りを灯せる材料はない。 ただたった一つだけ乗り越えられたことがある。 夫婦で仕事をしていて、4、5時間の睡眠時間、しかも寝る時間は一緒とは限らない生活をしていた。ひと月に一度、ご褒美に二人で車で遠出して二泊の小旅行をする事にしていたのだが、そのたびに旅行先で大喧嘩となった。家内の大好きなそれなりのワインを貧者の一灯、注文して囲んでたのしんでいるうちに、やはり仕事の話になる。意見はかみ合わず、普段は黙る家内はわめき始め、仕方ないので私は店を出る。宿に戻ると、更にヒートアップして、私も我慢ならずDVもどきとなる。真夜中に何度も自分用のホテルを別に探した。 家内は10年目ごろから仕事中の昼休憩にまで酒を飲みようになった。つらいのだから酒ぐらいと黙認していたが、大喧嘩は常態化してゆき、何度も家出をするようになった。何度も連れ戻した。この繰り返しに私も離婚を考えるようになった。意気を感じて始めた店だったが、社員だけが残り、家内がいないこの店はどうしても思い描けなかった。ある意味、家内のため、家内に喜んでもらえるわが家の未来の生計の柱を立てようとして始めた店。そこに私だけがいる情景はない。随分若い頃からくらべると太ってしまったが、私はやはり家内を愛していた。 「愛?笑わせないでよ。居なくなったら困るだけよ!牛や豚のようにこきつかえるもんね!都合がいいだけ!」 そう吐き捨てて2か月ほど家内が消えた時。店が終わると車で思い当たるところを毎晩捜し回った。ネットの履歴に残っていたビジネスホテルや旅館を訪ね、偽名で泊まっているかもしれず、「逃げた女房」の写真をスマホでフロントに見せて歩いた。鬼気迫る涙目の私を皆信用してくれたが、なかなか見つからなかった。ようやくみつけても、部屋から出で来ないので、置き手紙を差し込み、弁当を差し入れた。家内はとにかくも戻った。 仲直りのワインを飲んでいてある事に気がついた。話しているうちに家内の目が変わる。目がすわる。酒が入れば皆同じと思っていたが、家内の目は点になり、正面の私を見ているようで、何か焦点が定まらない。その目が現れると、もう言葉では取りつく島がなくなってゆく。さっきまでは朗らかで、ワインを喜んでいた家内は消え、不平不満の糸口を探して、その糸を猛然と紡ぎ始める。「酒乱?!」。私の親父が若い頃確かそうだった。それを思い出した。 飲み始めは本当に幸せそうなのだ。その時の笑顔まで取り上げるわけにはいかない。見ていると、例の目はワイングラス4杯目で出現する。申し合わせて飲む時は3杯と決めてもらう。断固3杯でストップ。唯一の逃げ場まで奪うのかと言う険悪な雰囲気だったが、だんだんそれに慣れて、不満も言わなくなり、口論はあったが、お互いの理性で制止できる範囲のもので、理不尽な修羅場はすっかりなくなっていった。 6年後、私は命と思っていた店を譲渡した。私がやりたかったことはやり、尽くした感があり、店舗継続には見込みはなかった。私の両親も身体障害児の家内の弟も施設に入り、家内の母親も車椅子となった。2人で別々の職場に勤め替え、車もなく、ドライブ旅行も消えた。買えるお金のワインはまずくて飲めないそうで、今は仕事から帰るとたまに缶ビールを半分飲んだだけで、若い頃のように明るく、いつも笑ってばかりいる。職場の同僚の話とか取るに足らないこと、お互いの休日の介護分担についてとか、当時の大きな夢から話題はとって変わった。だが、この場合によって平凡以下のこの暮らしが実は本当に幸せである。 私のロコはこの人である。あの時、気が付いたことに感謝している。せっかく出会って、一緒に戦ってきた。ただあのままであったなら、アル中になったか、刃傷沙汰になったか。凡人の人生トライアルバトルは終わったが、それも仕方ないこと。何より大切なこの人との縁を護れた。中国からばらばらになって説明書もなく届いたスチール家具。どうやっても私には無理だったが、私がいない間の2時間で、それを組み立ててしまう。そして笑っている。 私が彼女のロコでもあると思っている。もう酒が彼女のロコだとは言わないだろう。 投稿のタイトル 家内の新しいロコ? 市村圭 2024年10月2日 4:32 PM 親父は今日退院となった。病院で一人白寿(99歳)を迎えた。この狭い特殊寝台(介護ベッド)で常に仰向けの姿勢を強いられた状態で窓もない病室で白い天井を見続けていたに違いない。コロナ感染・誤嚥性肺炎・クロストリジウム感染症をいっかげつかけて克服し、とにかくもお袋のいる施設への帰還の許可を得た。 ここは俺の死ぬ場所ではない、俺の「ロコ」ではないと念じていたことだろう。隣室にお袋も入居している施設に戻ったところで、口にできる食事はソフト食とゼリー状の栄養食。クロストリジウム感染症リスクで看護師の介助で誤嚥に留意しながらの配食となる。お袋の介助での食事は許されない。それでもお袋が居るところに戻るというのが今の親父の唯一の希望・目標だったのではないか。お袋の掌と声の届くところ。そこが親父のロコである。 今からそのロコに送り届ける。 投稿のタイトル オヤジのロコ 尾部論 管理者 返事する 市村圭 2024年10月2日 5:02 PM お父様のご退院おめでとうございます。お父様のロコはお母様ということですね。100歳を越えても、ヒトは何か目標があれば決して生を諦めることはないと思うんです。ロコがあればなおさら。本当によかったです!
本当に苦難に直面して困っている人に私に助言できることなどない。平和な国に生まれ、平凡に生きてきた私に。ひとの痛んだ心に希望みたいな灯りを灯せる材料はない。
ただたった一つだけ乗り越えられたことがある。
夫婦で仕事をしていて、4、5時間の睡眠時間、しかも寝る時間は一緒とは限らない生活をしていた。ひと月に一度、ご褒美に二人で車で遠出して二泊の小旅行をする事にしていたのだが、そのたびに旅行先で大喧嘩となった。家内の大好きなそれなりのワインを貧者の一灯、注文して囲んでたのしんでいるうちに、やはり仕事の話になる。意見はかみ合わず、普段は黙る家内はわめき始め、仕方ないので私は店を出る。宿に戻ると、更にヒートアップして、私も我慢ならずDVもどきとなる。真夜中に何度も自分用のホテルを別に探した。
家内は10年目ごろから仕事中の昼休憩にまで酒を飲みようになった。つらいのだから酒ぐらいと黙認していたが、大喧嘩は常態化してゆき、何度も家出をするようになった。何度も連れ戻した。この繰り返しに私も離婚を考えるようになった。意気を感じて始めた店だったが、社員だけが残り、家内がいないこの店はどうしても思い描けなかった。ある意味、家内のため、家内に喜んでもらえるわが家の未来の生計の柱を立てようとして始めた店。そこに私だけがいる情景はない。随分若い頃からくらべると太ってしまったが、私はやはり家内を愛していた。
「愛?笑わせないでよ。居なくなったら困るだけよ!牛や豚のようにこきつかえるもんね!都合がいいだけ!」
そう吐き捨てて2か月ほど家内が消えた時。店が終わると車で思い当たるところを毎晩捜し回った。ネットの履歴に残っていたビジネスホテルや旅館を訪ね、偽名で泊まっているかもしれず、「逃げた女房」の写真をスマホでフロントに見せて歩いた。鬼気迫る涙目の私を皆信用してくれたが、なかなか見つからなかった。ようやくみつけても、部屋から出で来ないので、置き手紙を差し込み、弁当を差し入れた。家内はとにかくも戻った。
仲直りのワインを飲んでいてある事に気がついた。話しているうちに家内の目が変わる。目がすわる。酒が入れば皆同じと思っていたが、家内の目は点になり、正面の私を見ているようで、何か焦点が定まらない。その目が現れると、もう言葉では取りつく島がなくなってゆく。さっきまでは朗らかで、ワインを喜んでいた家内は消え、不平不満の糸口を探して、その糸を猛然と紡ぎ始める。「酒乱?!」。私の親父が若い頃確かそうだった。それを思い出した。
飲み始めは本当に幸せそうなのだ。その時の笑顔まで取り上げるわけにはいかない。見ていると、例の目はワイングラス4杯目で出現する。申し合わせて飲む時は3杯と決めてもらう。断固3杯でストップ。唯一の逃げ場まで奪うのかと言う険悪な雰囲気だったが、だんだんそれに慣れて、不満も言わなくなり、口論はあったが、お互いの理性で制止できる範囲のもので、理不尽な修羅場はすっかりなくなっていった。
6年後、私は命と思っていた店を譲渡した。私がやりたかったことはやり、尽くした感があり、店舗継続には見込みはなかった。私の両親も身体障害児の家内の弟も施設に入り、家内の母親も車椅子となった。2人で別々の職場に勤め替え、車もなく、ドライブ旅行も消えた。買えるお金のワインはまずくて飲めないそうで、今は仕事から帰るとたまに缶ビールを半分飲んだだけで、若い頃のように明るく、いつも笑ってばかりいる。職場の同僚の話とか取るに足らないこと、お互いの休日の介護分担についてとか、当時の大きな夢から話題はとって変わった。だが、この場合によって平凡以下のこの暮らしが実は本当に幸せである。
私のロコはこの人である。あの時、気が付いたことに感謝している。せっかく出会って、一緒に戦ってきた。ただあのままであったなら、アル中になったか、刃傷沙汰になったか。凡人の人生トライアルバトルは終わったが、それも仕方ないこと。何より大切なこの人との縁を護れた。中国からばらばらになって説明書もなく届いたスチール家具。どうやっても私には無理だったが、私がいない間の2時間で、それを組み立ててしまう。そして笑っている。
私が彼女のロコでもあると思っている。もう酒が彼女のロコだとは言わないだろう。
親父は今日退院となった。病院で一人白寿(99歳)を迎えた。この狭い特殊寝台(介護ベッド)で常に仰向けの姿勢を強いられた状態で窓もない病室で白い天井を見続けていたに違いない。コロナ感染・誤嚥性肺炎・クロストリジウム感染症をいっかげつかけて克服し、とにかくもお袋のいる施設への帰還の許可を得た。 ここは俺の死ぬ場所ではない、俺の「ロコ」ではないと念じていたことだろう。隣室にお袋も入居している施設に戻ったところで、口にできる食事はソフト食とゼリー状の栄養食。クロストリジウム感染症リスクで看護師の介助で誤嚥に留意しながらの配食となる。お袋の介助での食事は許されない。それでもお袋が居るところに戻るというのが今の親父の唯一の希望・目標だったのではないか。お袋の掌と声の届くところ。そこが親父のロコである。 今からそのロコに送り届ける。
お父様のご退院おめでとうございます。お父様のロコはお母様ということですね。100歳を越えても、ヒトは何か目標があれば決して生を諦めることはないと思うんです。ロコがあればなおさら。本当によかったです!